194、協会創立80周年にちなんで②~創立総会の会場をめぐって~(2026,3,15)
【記念号に書けなかったこと】
・協会創立80周年記念号の『日本児童文学』3・4月号が、会員や読者の方たちには届いたと思います。前回書いたように、僕はそこに「会創立80周年を迎えて」という文章を書いたわけですが、スペースの関係もあり、そこに書けなかったことが一つあり、ここに書きたいと思います。創立総会の会場のことです。
協会の創立総会は、1946年3月17日ですから、あと2日でほんとの「80周年」になりますが、
その創立総会は、「朝日新聞社講堂」で開催された、とされてきました。僕は1979年に事務局員に
なり、その7年後ですから事務局長になっていましたが、1986年の3月17日、つまり創立と同じ
日に、同じ会場で、創立40周年の「講演と朗読の夕」というイベントを開催しました。ただ、「同
じ会場」といっても、有楽町の朝日新聞社本社ビルは建て替わってマリオンになっていて、元の講
堂にあたるところは朝日ホールとなっていました。
・この準備をしながら、僕はひとつの疑問を持つようになりました。朝日ホールの定員は600人余
り。朝日新聞社講堂時代の定員はわかりませんが、当然数百人規模でしょう。しかし、協会の創立総
会は、そもそも創立時の会員が三十数名で、創立総会の出席は二十名余りだった(これでもかなり
高い出席率ですが)ようです。その人数で、本当に「講堂」で創立総会を開いたのだろうか、という
のが、僕の疑問でした。
そこで、朝日ホールの人に、建て替える前のビルに、講堂以外にもっと小さな会議室のような場
所がなかったかと聞いてみると、「ありました」という返事。ならば、「講堂」とあるのは、実際には
そうした会議室だったろう、と思ったわけです。
・それからしばらくして、創立50周年が近くなったころ、前回名前を出した関英雄さんの「体験的
児童文学史(戦後編)」の連載が、『日本児童文学』で始まりました。僕が編集長の時で、関さんにこ
れを書いてもらおうというのは、ずっと考えていたことでした。そして、関さんに、「創立総会が開
かれたのは、ほんとに“講堂”でしたか? 隣接する会議室ではありませんでしたか?」というよう
な質問というか、ほとんど誘導尋問のような問いかけをしたわけです。
これも前回書いたように、その記憶力には定評のある関さんでしたが、さすがに晩年で、「そう言
われれば、そんなに広い所ではなかったかもしれない」ということで、連載の第三回の時に、「講堂
ではなく会議室だった」と書かれました。そして、これを受けて、『日本児童文学』の創立50周年
記念号(1996年3月号)に僕が「『日本児童文学』に見る協会の50年」という年表を書いたとき
に、「創立総会は、講堂に隣接の会議室」と修正したわけです。
・ところが、この年表の中でもすでに触れていますが、そのように修正したものの、数は少なくて
も創立総会に出席した人は、初期の役員の大半でもあったわけで、その人たちが、みんな「講堂」と
勘違いするだろうか、という新たな疑問が頭をもたげてきました。改めて、1946年9月1日付けで
発行されている『日本児童文学』の創刊号を見ても、巻末のニュース欄の冒頭に、「創立総会開かる」
の記事があり、ここでも会場は「朝日新聞東京本社七階講堂」となっています。この記事を書いたの
は多分関さんですが、創立総会からまだ数か月しか経っていない時で、まあ間違えないでしょう。
決定的だったのは、75周年記念資料集を作成する際に出てきた、ガリ版刷りの「児童文学者協会ニ
ュース」第1号でも、やはり「講堂」となっており、まちがいないところです。
ということで、僕の関さんへの余計なサジェスションで、50周年記念号では、「会議室」としまし
たが、改めて、協会の創立総会が開かれたのは、朝日新聞社講堂だった、という「歴史」を、ここで
再確認させていただく次第です。