190、雪の思い出 (2026,2,5)
【明日から】
・明後日の7日(土)に、あきた文学資料館の会議があり、明日から秋田に行ってきます。明日は秋田市に泊まり、7日の会議の後は大仙市の実家に泊まり、8日に戻るつもりです。今週末、大寒波到来という予報ですから、果たして新幹線が通常通り動いてくれるかどうか。そんなわけで、8日に無事戻れるかどうか危ういので、一昨日、選挙の不在者投票をしてきました。
それにしても、テレビで青森や新潟の大雪のニュースを見て、さすがに今年は異常だな、という感じを受けます。秋田で生まれ、育った僕としては、雪の景色は、基本的には“懐かしい”のですが、屋根の雪下ろしや除雪の大変さを考えると、懐かしいどころではありませんね。
・昨日、事務所に行った折に、事務局長の原さんにそんな話をしたのですが、上記の僕の故郷の大仙市。合併前は中仙町、更に昭和の合併前は長野町というところで、田沢湖線の(ということは、秋田新幹線の)沿線で、秋田の中でも豪雪地帯というほどではありませんが、海沿いの秋田市などと比べると、雪は格段に積もります。
ただ、その頃は、今のように、雪が“災害”のようなニュアンスはあまりなかったように思うのです。ひとつは、過疎化、人口減、ということがありますね。特に屋根の雪下ろしというのは、かなり体力が必要で、昔は、ほとんどの家に、“男手”が何人かいましたから、大変とはいえ、間に合っていたと思うのです。ところが、僕の実家のあたりもそうですが、今は老人世帯が多く、雪下ろしができる人が一人でもいればいいほうでしょう。雪は本当に重くて、冬になると、障子の開け閉めがきゅうくつになる、というのは、覚えています。
【昔は、馬橇が……】
・そして道路の除雪。青森でも、新潟でも、もはや雪をどけるスペースがなくて、困っている映像を見て、昔はどうしていたんだろう、と考えました。
これはさすがに、僕くらいの年代までだと思いますが、僕が子どもの頃は、まだ「車社会」ではなくて、冬になると、運搬手段の主力は馬橇(馬が牽く大きなそり)でした。道路を馬橇が往来して固めてくれるので、「除雪」する必要はないわけです。そりの通った所はテカテカになり、朝に、そりが通った後を、長靴でスケートのように滑ったりしたながら、学校に向かったのは、本当に懐かしい思い出です。時々、馬のお尻からの“贈り物”が落ちていたりも、しましたが。
そう考えると、機械で除雪して、その後を車が通れるようにする、というのは、二重に燃料が必要だということですね。暖房も(僕が子どもの頃は薪ストーブでしたが)灯油ですし、言わばたった何十年かで、エネルギーの体系がまったく変わってしまった。それは便利なことには違いありませんが、危ういことでもあるなと、改めて思ったことでした。
・これは以前に一度書いたような気がしますが、東京に出て来て、まだ何年も経っていない頃、NHKの朝ドラで、「雲のじゅぅたん」というのがあり、秋田・角館(隣町です)出身の、女性初の飛行士の話だったのですが、確かその一回目の始まりが秋田の冬景色で、角館出身の俳優・山谷初男が運転するそりが雪の中を進んでいくショットでした。それを見ていたら、気がついたら、僕はぼろぼろ涙をながしているのです。僕はそんなに“故郷想い”ではないような気がしていたのですが、改めて自分のルーツと言うか、原風景を思い知らされてた気がしました。そういえば? 僕の第一作は『雪咲く村へ』でした。
というわけで、明日からの秋田行き、楽しみなような、大丈夫かな……というような。