185、二冊の“渾身”の書に出会いました(2025,12,5)
【まずは、野上さんの】
・前回の最後に書いた公開研究会。期待に違わず、とても中身の濃いシンポジウムになりました。僕は冒頭のあいさつで、「よくも今回のテーマにふさわしい人たちを並べたな」というようなことを言ったのでしたが、本当にその通りでした。
戦後80年というのは、当然生存者も少なくなるし、記憶の風化が進むことは免れませんが、時間が経って見えてくることもあるわけで、「戦後生まれの第一世代」としての責任のようなことも感じました。
・さて、今回は、たまたまこの時期に出会った二冊の大著(と言って間違いない本)を紹介したいと思います。まずは野上暁さんの『『小学一年生』100年の現代史』(論創社)です。野上さんは、肩書き的に言えば、「児童文化・児童文学評論家」ということになるでしょうが、今回の本は、ジャンルとしては「児童文化」の方になると思います。
『小学一年生』というのは誌名で、ご存じの小学館の学年誌です。この創刊が1922年(大正11年)で、創刊から百年余りが経ったわけです。上記のように、野上さんは評論家として長く活躍されていますが、小学館で雑誌編集を主に担当した編集者でもありました。以下、前書きから引用します。
一九四三年生まれのぼくが最初に『小学一年生』を読んだのは、一九五一年の正月号だった。一月二日、初めてもらったお年玉を握りしめ本屋さんに行って初売りの開店を待ち、喜び勇んで購入した。ところが友だちは同じ書店で二月号を買っていたことを知ってがっかりしたことを思い出す。それでも初めて手にした『小学一年生』がうれしくて、当時の絵日記に表紙の絵をクレヨンで丹念に描いていたのを小学館に入社してから見つけてびっくりした。ともあれ、ぼくは『小学一年生』と最初に出会ってからすでに七〇年以上過ぎ、創刊以来一〇〇年のうちの七〇年以上も同誌と並走してきていることになる。そればかりか、一九六七年に小学館に入社して、最初に『小学一年生』に配属されてから、通算して一六年も同誌に在籍して編集長も務め、小学館の学年誌と児童書には二八年間も関わり続けてきた。
少し長い引用になりましたが、この雑誌の歴史を語るには、この人しかいないということが、よくわかります。言うまでもなく、100年の間には戦時下の時代を含んでいるわけで、この時期は『コクミン一年生』に改題されていたことは初めて知りました。児童文学者協会の創立に関わった多くの児童文学者が、この時期、こうした雑誌で戦意高揚の筆をふるっていたこともよくわかります。また、野上さんが入社して間もない1960年代終わりから70年代にかけて、藤子不二雄の「パーマン」や手塚治虫の担当もしていたことなどが書かれていて、こうした雑誌の裏側も興味深い。300ページ近くあり、カラーの図版も多く、3000円(+税)はリーズナブルだと思いました。この分野の研究をする人には必読でしょうが、この雑誌を通して自分自身の時代を振り返ることもできるおもしろさがあります。タイトルに、敢えて?「現代史」という言葉を選んだことに、著者の思いを感じ取りました。
【もう一冊は、『鬼剣舞考』です】
・「フォーラム・子どもたちの未来のために」の久しぶりの実行委員会で(フォーラムはこの一、二年、休止状態でしたが、今年度を以て活動を終えることにしました。これについては、改めて)で、野上さんから本を渡された、ちょうどその日だったか、翌日だったか、届いたのが『鬼剣舞考』という本でした(「鬼剣舞」は「おにけんばい」と読みます)。著者の小田島清朗さんは、秋田のわらび座の民俗芸能資料センターの研究員で、盛岡出版コミュニティーが発行所です。
小田島さんのことは前に書いたと思いますが、この11月まであきた文学資料館で開催されていた斎藤隆介展の準備のために、僕がわらび座に伺った折に(斉藤隆介は、秋田時代、わらび座の脚本を書いたりしていました)出会った方です。僕と同年生まれで、岩手大学在学中に、わらび座や斎藤隆介と出会い、卒業後わらび座に入ったという経歴で、秋田大学在学中に斎藤隆介と出会って今の仕事をしている僕と、なんというかパラレルのような人生を歩んでこられた方です。
その小田島さんがわらび座と出会ったのは、「東北の鬼」という舞台でした。第一章の冒頭で、その時のことを次のように書かれています。
大学四年の夏、岩手の歴史から材をとった歌舞劇「東北の鬼」というわらび座の作品を田沢湖町の稽古場で見た。二時間半に及ぶ舞台の最後が鬼剣舞で、すぐ目の前で十数人の鬼剣舞が踊られ、ズシンズシンと床板を踏む音が直接体に響いてくる。それを見ている自分の腹の底から湯がたぎるように熱いものが湧き上がってきて、普段の自分はまったく消極的で自信がないのが、「いや、おれにも何かできるかもしれない!」と力がわき、その興奮はしばらく冷めやらなかった。もう五十年前のことだが、あれほど感動で全身を揺さぶられたことは、後にも先にもない。
つまり、それ以来、この題材を追い続けてきた結果が、今回の『鬼剣舞考』というわけです。まだ読み始めで、こうした民俗学的な知識のない僕(「鬼剣舞」を「おにけんばい」と読むということ自体、初めて知りました)に、きちんとした紹介はできませんが、芸能というのは、実に歴史の雄弁な語り手ですね。こうした題材というのはほんとにゴールがない、というか、一つ何かが明らかになると新たな謎が生まれるという感じで、それを追いかけることは、一面楽しくもあるでしょうが、言葉は適切ではないかもしれませんが、“執念”という感じでもありました。こちらも370ページを超える大著です。
ともかく、二人のライフワークという仕事を見せられ、僕自身、一年以上ストップしている『ドボルザークの髭』を早く再開させなければと、お尻に火が付いた感じでした。こちらはアマゾンでは買えると思いますが(2860円)、ぜひ図書館にリクエストを!