知るということの意味                 大橋珠美  

国際部

10月から明治学院大学の講座「広島・長崎講座2」を(参加可能な時のみですが)聴講しています。テーマは「『歴史認識問題』から問い直す平和」で、「社会やそこに暮らす人々がいかなる状態を、あるべき『平和』と考えるか、を探るうえで指針となる」歴史認識について、毎回具体例を取り上げ、考察するという講座です。

私にとってこの講座は、今の社会の在り方へとつながっている歴史を見直す機会であり、また児童文学作品が、どのような時代に、どのような作者の思いのもと、書かれたのかを知ることで得られる、さらなる作品理解への橋渡しでもあります。

例えば、戦争下にある国と国の間には相手国の認識に大きなズレがあります。国が国民に対して行うプロパガンダ教育も原因の一つでしょう。その中で私たちは、何を史実(事実)として捉え、その史実とどう向き合い、社会の中で行動していくか——個人としてどう生きるか——という課題にぶつからざるを得ません。未来への手がかりは他の誰かではなく自分の中にしかない、そう気づいたときはじめて、児童文学の意義——あなたが生きることを励まし、深く考えることに寄り添ってくれる——に気づくのではないでしょうか(ただただ、夢中になって読んでいたとしても)。

私にとってそれは、エーリヒ・ケストナー『飛ぶ教室』や、アーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記』でした。どちらも歴史の話ではありませんが、「人間が成長していくこと」について考えさせられる作品です。インターネットによって多様な情報が飛び交う現在、事実をきちんと見極める目や、他者の思いを想像し自分に置き換えて考える心の獲得に、児童文学作品との出会いは大きく寄与している、歳を重ねるごとにその思いは強くなります。

人生の途上で立ち止るとき、児童文学作品との出会いがあったことに、感謝してやみません。

国際部 大橋珠美