183、二つの「50周年」に出会いました (2025,11,16)

理事長ブログ

【まずは、岩手児童文学の会の50周年】

・一日遅れになりましたが、今回は二つの「50周年」に出会いました。

協会には北海道から沖縄まで十いくつかの支部がありますが(休止状態の所もあり、数え方が難しいのです)、岩手支部は北から2番目の支部で、「岩手児童文学の会」として活動しています(『とうげの旗』を出している信州児童文学会が信州支部でもあるように、二枚看板のところがむしろ多いのです)。その岩手児童文学の会が創立50周年を迎えるのでメッセージを寄せてほしいということで、書きました。それが載った記念誌『50年のあゆみ』と記念の作品集『岩手のこみち』が送られてきました。

記念誌に掲載されている資料によれば、昭和50年(1975年)に「ノロギボッコの会」としてスタートし、翌年協会の支部になり、その後岩手県児童文学研究会、さらに現在の岩手児童文学の会に改称した、ということです。

・「ノロギボッコ」とは何か、については、同会会長の千葉留梨子さんが冒頭の「五十年、そして明日から」という文章で紹介されています。「ノロギ」というのは、「山の岩くれから生まれた石蝋(せきろう)みたいなもん」ということで、昔の子どもたちは、それで地面に絵を描いたりして遊んだらしい。そう言われれば、僕も子どもの頃に(それと同じものかどうかわかりませんが)薄茶色の色がつく蝋石で遊んだ記憶があります。それに東北では「子ども」を意味する「ぼっこ」をつけたのですね。つまり、これは創立会員たちが作った造語だということを初めて知りました。童話を書こうとしている自分たちをその言葉に重ねたのか、読者である子どもたちをその言葉でイメージしたのか、そのどちらでもある気がしますが、なかなかのセンスですね。

・冒頭に書いたように、かつてに比べて協会の支部の活動は、全体としては活発とは言えません。新しい書き手が生まれても、必ずしも自分の住む地域と関わった形で創造活動をしていく、というパターンではないし、仲間も地元というよりはもっと広いつながりで、ということが多く、地域を土台とした「支部」という形はとりにくくなっているのが現実です。

そうした中で、岩手の場合は、上記の千葉さん(遠野を舞台にした『スケッチブック―供養絵をめぐる物語』―で、小川未明賞を受賞)や田沢五月さん(昨年の感想文コンクール課題図書になった『海よ光れ! 3・11 被災者を励ました学校新聞』など)たち、“中堅世代”ががんばっていて、今回同時に送っていただいた作品集も15人の書き手が、それぞれに個性的な世界を構築していて、失礼な言い方になりますが、感心してしまいました。

【そして、北海道子どもの本連絡会の50年】

・北海道子どもの本連絡会という組織があり、ここの活動にはかねてから注目と言うか、感服していました。それは、書き手(主に協会の北海道支部のメンバー。作家だけでなく評論・研究の分野の人も含まれます)と渡し手(それも、公共図書館関係者と文庫などの民間の働き手の両方)が、まさに手を取り合って、という感じで子どもの本の普及に取り組んでいるからです。ここでは『北の野火』という会誌を出していて、その39号が50周年記念号でした。

・これによれば、1975年に札幌定山渓で開催された日本子どもの本研究会の全国集会に集まった道内の方たちが、子どもの本連絡会をスタートさせた、ということのようです。まだワープロも普及してない時代の会のニュース「子どもの本のひろば」の第一面が復刻されていて、その第1号(1978年3月)には後藤竜二の「未知の世界の輝き」、第2号には加藤多一が「なぜ北海道なのか」というメッセージを寄せています。

何度か書いたと思いますが、僕は1974年に初めて『日本児童文学』に評論が掲載され、“評論家デビュー”となりました。つまり、去年が50周年でした。昔を懐かしがるつもりはまったくありませんが、子どもの本の世界のエネルギーが、かなり高まった時代だったと思います。それをしっかり受けとめ続けている二つの会の50年記念誌に「おっ、やってるな」という感じで、励まされる思いでした。