179、カーリルローカル のこと(2025,10,5)

理事長ブログ

【自著が出たので】

・一月前の9月5日付のブログに書きましたが、久しぶりの自著の単行本『童話作家のアイウエオ』が出たので、まず気になるのは、図書館にどの程度入ったかということです。今まで、それを調べる場合、例えば僕が住んでいる埼玉県であれば、ネットで「埼玉県図書館横断検索」を呼び出して、そこに書名を入れ、図書館の入荷状況を確認する、という作業でした。

この場合、当然ながら、他の県を調べる場合は、いちいち「〇〇県図書館横断検索」にして、調べるということになります。ただ、これによって、自分の本や、『日本児童文学』がどの程度図書館に置いてあるかがわかるわけで、ネットのない時代にはできないことでした。

・それで、今回、それをやろうとしたら、「カーリル」というのが出てきて(というのも変な表現ですが、自分でわかって出したのではなく、「出てきた」のです。そういえば、「聞いたことがある」という感じでした)、これで、「カーリルローカル」の検索の画面にして都道府県を指定し、書名を入れれば、どこの図書館にあるか、そして貸し出し状況がすぐわかるシステムになっています。これを読んでいる方のかなりの方はとっくにご存じだったかもしれませんが、僕は今回初めて知りました。

おかげで、一日おきくらいに、これで図書館への入荷状況を見ながら、一喜一憂?している有様です。

今のところ、一番多いのが、別に地元だから、ということではないはずですが、埼玉県で32館。東京はやや少なく20館、神奈川はさらに少なく7館。ただ、大きい市や23区などはその中に図書館がいくつかあるわけで、その場合、複数で入っている市や区もあります。僕が見つけた中で、一番多かったのは江戸川区で7冊、多分区内のすべての図書館に1冊ずつ入っているのではないでしょうか。これを見た時は、思わず“拍手”でした(笑)。創作の本であれば、複数冊入っているのは普通でしょうが、研究書だとまず1冊というのが通例でしょうから、この本の、言わば一般読者への必要度というか、アピール度を認めてもらったような気がして、その点でもとてもうれしかった次第です。

・そこで、自分の本だけではなくて、協会の『日本児童文学』でやってみよう、と思いました。ただ、上記の「〇〇県図書館横断検索」と違って、「タイトル」「著者」「出版者」というふうに項目がたっているわけではないので、難しいかなと思いつつ、でしたが、案の定でした。「日本児童文学」で検索すると、雑誌だけでなく、協会の編纂図書、そして書名に「日本児童文学」を含むものなど、かなりの数の本、雑誌が出てきてしまい、そこから雑誌『日本児童文学』を選び出すのは現実的でありません。試しに、「日本児童文学1・2月号」で検索してみたら、今度は(1・2月号というのは、書名ではないわけで)「該当ありません」の表示。どなたか、カーリルローカルでこうした雑誌の所在を確認できる裏技をご存じなら、ぜひお知らせください。

【灰谷健次郎を】

・先に書いた斎藤隆介展のことや上記の本のことが一段落したので、ようやく個人誌『ドボルザークの髭』の次号にとりかかっています。次号は、灰谷健次郎についてがメインで、これが僕が書く児童文学史のひとつのヤマというか、(変な言い方ですが)“障害物”だと思ってきました。というのは、灰谷の場合、どこに視点を置くかで評価がかなり変わってくるからで、どう書いても落ち着く感じにならないように思えるのです。灰谷健次郎は、「現代児童文学」のなかで、もっとも広く読まれた作家でもあるし、一方できわめて否定的な評価にさらされた作家でもありました。

・僕も灰谷については何度か書いていますし、角川文庫の『海の図』の解説も書いていますが、独立した作品論としては、最初の評論集『児童文学に今を問う』に収録した「だれも知らない」が“代表例”かと思います。これは短編集『ひとりぼっちの動物園』に収録され、長谷川集平の絵で独立した絵本にもなっている「だれも知らない」について論じたもので、つまり作品のタイトルもその作品論のタイトルもどちらも「だれも知らない」という“仕掛け”でした。

これも基本的には作品に対する否定的な見解を述べたものですが、一方で、灰谷に対する否定的な批評は、(僕も含め)それがあまりにも多くの読者を獲得していることへの“反感”がベースにあるような感じもあって、なかなか“虚心坦懐”に作品を読む、ということが難しいのです。それを今回なんとか実現したいと思って、久しぶりに『兎の眼』と『太陽の子』を読み返しました。僕の中から、どんな反応が出てくるか、ちょっと楽しみにしつつ、です。