178、「昭和100年」→大石真生誕100年のこと (2025,9,26)

理事長ブログ

【本題の前に】

・一日遅れになりましたが、“本題”の前にいくつか。昨日は、午前中、「全国学習塾協会」の感想文コンクールの審査で、都内・大塚に。これは去年から選考に加わっているのですが、特徴的なのは、「感想作文」というコンセプト、つまり「感想」からもう一歩前に、というか、もう一つふくらませる(そのふくらませ方はいろいろあるわけですが)ことを目指してる、ということ。そして、課題図書が、それを誘発させるような、というか、なかなか手ごわい感じの本を選んでいることで、例えば今回、中学生の課題図書のひとつに、村上雅郁さんの『かなたのif』が並んでいて、これで感想文を書くのはかなり難しいのでは、と思ったのですが、中学3年生で候補に挙がってきた4点のうち、「かなたのif」を選んだ人が3人いて、という具合で、改めて村上作品の魅力を感じ取りました。

・さて、その選考が終わって、事務所に着くと、ここ何日かの僕宛の郵便物の中に、新宿警察署からの封書がありました。一瞬「何かやらかしたか」と思いましたが、幸い?思い当たることはありません。開けてみると、「拾得物受理通知書」という文書で、僕の名刺入れが届いているので、取りに来いという通知でした。そういえば、ここ数日、探していたのです。

前にも書いたと思いますが、こう見えて?僕は忘れ物、落とし物の常習犯で、財布、スマホ、手提げ袋など、何度か警察のご厄介になっています。ただ、名刺入れを落とすというシチュエーションは思い浮かばず、家の中のどこかにあって、そのうち出てくるだろうと思っていましたが、さにあらずでした。

年のせいか、「つい、うっかり」がますます増えている自覚はあり、気を付けなければと自戒します。

・あと二つ。一つは前回、司馬遼太郎が大阪国際児童文学振興財団の「初代理事長」と書きましたが、二代目だそうです。そして、そこに書いた今村翔吾さんのことですが、『運命を変えるチャンスはなぜか突然やってくる~直木賞作家・今村翔吾が伝えたいこと~』が、岩波ジュニアスタートブックスで出ています。この中学生向けのレーベル自体、初めて知りましたが、作家になったプロセスや本への思いを結構ド直球で語っていて、おもしろかったです。

【ようやく本題です】

・今年が「昭和100年」であることは知っていましたが、10月25日(土)に、埼玉県和光市図書館で大石真さんについての講演をします。和光市は大石さんの出身地ですが、今年が「生誕100年」なのです。

大石さんは大正14年生まれで、西暦では1925年。翌年(大正15年)の12月に大正天皇が亡くなって昭和に改元されます。というわけで、「昭和100年」は「大石真生誕100年」でもあるのでした。(昭和は0からではなくて1から始まりますから、1年ずれるわけです。)

何度も書いたように、僕が児童文学の世界に出会ったのは斎藤隆介、そしてもっとも影響を受けたのは古田足日ですが、学生時代、もっとも印象に残った作品のひとつが、大石さんの『教室205号』(1969年)でした。この作品が、現代児童文学の出発期(1959,60年)と10年しか違わないのに、その作品世界の“暗さ”が心に残り、それが僕が児童文学の「時代」ということに目を向ける契機にもなりました。

そして、忘れられないのは、僕が36歳で初めての本『雪咲く村へ』(1986年)を出して出版記念会をやってもらった時、大石さんから「藤田くん、君は天才だね」と言ってもらったことです。多分、この作品を学生時代に書いたことをほめてくれたのでしょうが、僕がプロ中のブロとも仰ぐ大石さんからのこの言葉は、僕が人からかけられた言葉の中でも、もっともうれしい言葉だったかもしれません(“天才”も、その後はあまりぱっとしませんが……)。

それから、これは愛知県半田市で、新美南吉関連の講演をした時のことですが、その時は「もし南吉が生きていたら(どんな作品を書いただろう)」というような話をして、その時に浮かんだのが、上記の『教室205号』でした。少年の心理のカゲの部分に迫る視線に、南吉と重なるものを感じたのです

まだ和光市図書館のホームページには出てないようですが、関心のある方はいらしてください(リモートはありません)。演題は「大石真の軌跡を追って~童話から児童文学へ~」です。