連載「SF作家が児童文学について考える」を読んで考えたこと

『日本児童文学』編集部

前回に続き、東野司さんの連載評論についての感想です。今回は、小川メイさんにお願いをしました。
このブログでは、「日本児童文学」の読者のみなさまより、本誌を読んでのご感想、ご意見を募集します。400字にして5枚以内の分量で下記アドレスに送ってください。編集委員で読ませていただき、いくつかを掲載させていただきます。

連載「SF作家が児童文学について考える」を読んで考えたこと

SF作家でもある東野司さんが児童文学の現状をどのように考えているかに興味があったため、連載を毎号楽しみにしていました。
第一回・第二回では「グレード」を中心に、第三回では「児童文学故にキュウクツになっているものがあるのでは?」という問題提起から可能性の発見まで、興味深く拝読しました。
グレードとは「中学年向け」「高学年向け」といった対象年齢のことで児童文学特有の考え方だと思います。
自分語りになってしまいますが、子どもの頃、わたしが最初に触れたSF作品はアニメ映画の「11人いる!」でした。確かテレビで放映されたのですが、まだ「ワクチン」というものが何なのかもよくわかっていない低学年で、「よくわからないけれど恐ろしい話だった」という印象を持ちました。知らない言葉もたくさんあり純粋には楽しめなかったのです。数年経ち、録画してあったビデオを再度見た際に「なにこれ、すごく面白い」と思い、その後はテープが擦り切れるまで何度も見ました。最初に見たときと違い、単語や登場人物の気持ちを理解して楽しめるようになった。この成長の幅が児童文学でもよく言われる「グレード」の必要性に繋がっているのではないかと思います。ただ、グレードの重要度はそんなに高いものだろうか、とも思います。読む力は学年で区切られるようなものではなく、個人差があるものではないかと考えるからです。
連載の第二回で「もうこの際、思い切って、幼年から中学年向けを「児童文学」のメインとしては、どうだろうかと……。高学年以上は、もう大人の文学を読めます」と書かれていますが、「しかしYAを一般文学に含めてしまうのはどうだろう」と思ったり、「学年で区切るのではなく★の数などを難易度の目安にしては」などとあれこれと考えるきっかけになりました。
第三回の児童文学に数多くみられる社会的事件や事象をベースにした物語については、個人的には枠のくくりよりもジャンルの偏りという面で気になっていることでした。
今は、いくつかのファンダムに所属し、イベントのスタッフなどもちょこちょこやらせていただいているのですが、わたしは学生の頃、ほとんどSF小説を読んできませんでした。近くに書店も図書館もない田舎町で育ち、読み物は教科書と親の蔵書がほぼすべてだったからです。何か読みたい。でも、読むものがない。そんなときには教科書を読んでいました。母の本棚には絵本や児童文学が多く、父の本棚には純文学が多かったので、教科書で紹介されていた本を探して本棚から引っ張り出しました。学級文庫に星新一作品はありましたが、一般書のSFを手に取るまでには至りませんでした。わたしがSF小説や幻想文学に出会ったのはずっと遅くて、おとなになってからです。初めてSF小説を読んだとき「こんなに魅力的な世界があったなんて」と感嘆しました。天地を覆されるような発想の自由さと柔軟さが、量子や微生物の世界と共にそこにありました。学生の頃にこの本に出合えていたら……と思うことがよくあります。おとなの読者だって「合う、合わない」は、実際に読んでみないとわからないことが多いものです。中には純文学は合わないけれどジャンル小説なら合うという人もいるのではないかと思います。子ども時代に好きな本に出合うために、多様な選択肢があることが理想ではないかと考えています。

小川メイ