173、評論研600回のこと、長崎原爆を描いた『Garden』のことなど (2025,8,5)

理事長ブログ

【先週の土曜日は】

・7月の最終土曜日、26日でしたが、児童文学評論研究会の例会がありました。例会は、月に1回、基本的に月末の土曜日ですが、今回はなんと第600回目の例会でした。600÷12=50、つまり、50年目の例会でした。児童文学の同人誌には、山形の『もんぺの子』とか、信州の『とうげの旗』、北九州の『小さい旗』など、60年以上続いている同人誌もありますが、まあ50年というのもなかなか珍しいでしょう。なにしろ50年前ですから、僕は25歳でした。同じく創立メンバーの宮川健郎君(あえて“君”づけにしますが)は誕生日前で、まだ19歳でした。

その児童文学評論研究会、略称・評論研の成り立ちについては、以前も書いた気がするので略しますが、僕は、学生時代、秋田でまったく一人で評論めいたものを書いていた時、東京に行きさえすれば仲間はたくさんいるだろうと思っていました。しかし、実際はそうでもなくて、昔も今も、児童文学の評論を書こうという人はめったにいません。その意味で、若い時に、そうしたメンバーと出会えたことは、今思えば、かなりにラッキーなことでした。

・さて、その600回例会ですが、テキストは、『日本児童文学』に25年1・2月号から5・6月号まで連載された東野司さんの「児童文学について考える」でした。そこにも書かれているように、東野さんは元々というか、SFの書き手で、児童文学には言わば外部から入ってきた人なわけです。そして、この連載は、そうした“外からの眼”をむしろ生かすような形で、児童文学について考える、という趣向で、僕も楽しみにしていました。東野さんには感想など送ろうと思っていましたが、連載の2回目で僕自身が“登場”したりで、なんとなくそのままになっていましたので、ちょうどいい機会だと思いました。ただ、これは参加者がほぼ等しく感じたことなのですが、多分1年間(6回)にわたって続くだろうと思っていた連載が3回で終了になり、「あれっ」と思っていたところでもありました。

当日うかがった “裏話”では、東野さんご自身もそのつもりだったらしいのですが、それが3回で終わってしまった経緯やら、なんか連載の中味以上に、その裏話の方が印象に残ってしまったようなところがありますが、東野さんの連載のテーマのひとつというか、大きな問題提起が、グレード、つまり読者としての対象年齢をどう意識するか、という点です。児童文学では当たり前というか、大前提のようなことですが、大人の小説家は、基本的には読者の年齢層をしぼって書く、ということは、あまりしないわけです。そのことが児童文学に力を与えているのか、あるいはきゅうくつにしているのか。東野さんの提起を読んで、これは古くて、新しい問題だと改めて思いました。

・終了後は、神楽坂の中華料理店で懇親会になりました。近年は、例会もリモートだったりで、これもやや久しぶりのことで、創立メンバーとしては、遠慮なく「昔話」をさせてもらいました。評論研は大体2年ごとくらいのペースで、テーマを定めているのですが、9月からは「ファンタジー児童文学を考える」になります。今はほぼリアルとリモートのハイブリッドでやっているので、地方の方も含め、ご興味のある方はご連絡ください。(『日本児童文学』の情報館に、例会の案内が出ています。)

【『Garden』を読む】

・さて、今日は8月5日、明日が6日、そして土曜日が9日です。出版社からの献本で気になりつつ読んでいなかったのが、森越智子さんの『Garden 8月9日の父をさがして』(童心社)でした。北海道の森越さんが、長崎の原爆を?と思いつつ、しばらく表紙だけ眺めていました。昨日、カミさんと孫娘が出かけて一人になったところで、ようやく読み始めました。

語り手(ぼく)は北海道に住む大人の男性で、父親が長崎で被爆しています。子どもの頃に「ヒミツ」があったという話から始まるのですが、その秘密というのは、〈ぼく〉は「秀一(ひでかず)」という名前なのですが、なぜか父方の親戚のキヨノおばちゃんが来た時は「しゅういち」にならないといけなかった、というのです。実はキヨノおばちゃんは、〈ぼく〉の名付け親で、「しゅういち」とつけてくれたのを、父親がいざ届ける段になって「ひでかず」にしたというのです。それで、キヨノおばちゃんが来た時だけは、「ひでかず」という名前を隠して! 家族も「しゅうちゃん」と呼んだりしたというのですから、ただ事ではありません。

そうしたややミステリー風なところから始まって、父親の被爆体験の真実に迫ろうとする〈ぼく〉と、奥さんのハルさんの姿が描かれます。言うまでもなく、今あの戦争を描くということは、80年という時間(この物語は、戦後70年の設定ですが)とどう向き合うかという課題との〈対決〉でもあるわけで、上記のミステリーが100%解決するわけではないのですが、そういう未解決の問題を、それぞれに引きずっていくことの意味、価値が、語られているようでもありました。

「核兵器を持つ方が安上がり」などという暴論を堂々と吐く人間が現れたりしている今、多くの未解決の問題と向き合う勇気を持ちたいと、改めて思ったことでした。(敢えて付け加えますが、第二次大戦の際、マンハッタン計画のための総費用が20億ドルだったのに対して、B29の開発には30億ドルかかった、というように、「核兵器」がその威力の割に“安上がり”だというのは、一面の真実ではあります。しかし、これはよく言われることですが、核兵器どころか、もし原発が攻撃を受けたら、どういう状況になるかということをちょっと想像しただけでも、“安上がり”などという言葉が出てくる隙間はありません。)

・さて、協会のホームページのお知らせ欄にもありますが、NHKラジオの「深夜便」で、8月9日、「絵本で伝える平和の願い」という特集があり、那須さんの『やくそく』や内田麟太郎さんの『ひとのなみだ』が朗読されます。この日と翌10日は、「深夜」ではない「午後便」で3時5分から。どちらも、歴史と向き合う、本当の〈勇気〉というものを、僕らに教えてくれる絵本だと思います。ぜひお聞きください。