翻訳作品が私に教えてくれたこと 繁内理恵
児童文学評論家の繁内理恵です。児童文学の書評や評論を書いております。
2021年に『戦争と児童文学』という、戦争のなかの子どもたちを描く児童文学を取り上げ、十篇にまとめた評論集をみすず書房から上梓しましたが、その十篇のうち、七篇はエルス・ペルフロム、ロバート・ウェストール、シンシア・カドハタ、エリザベス・レアード、デイヴィッド・アーモンド、グードルン・パウゼヴァングなどの海外文学の作品について、書いております。
海外文学は、いつも私を「ここではない、どこか」に連れていってくれる、特別な回路です。この本の扉をあけることが、新しい目を開かせてくれるのでは、というワクワクする予感は、幼い頃から変わらぬ、尽きせぬ喜びです。一冊の本に向き合うとき、私が知りたいのは、様々な回り道も含めて、いつも「人間とは何か」ということなのだと思います。その「何か」を探すとき、私にとって翻訳作品は、非常に面白い回路になりうるのです。
一冊の翻訳作品を読み込むとき、舞台になった国の歴史、社会機構、文化、作家の人生について、片端から読み込みます。関連本を積み上げ、地図を広げて、動画や写真もネットであさり、日常生活と、作品世界がダブって見える、自分の足元が危うくなるくらいになるまで埋没する。すると、その作業の奥底に、「人間」というほの暗く、それでいて時折輝くような、存在の普遍的な鉱脈のようなものが見えてくるときがあるのです。
今、排外主義を唱える言説を日常的に目にするようになりました。その主戦場はインターネットのSNSの世界です。世界中の人々がスマホを利用し、情報が一気に世界中を駆け巡る。しかし、その情報は断片的なものが大半です。人間は、複雑で刻々と変わっていく内面を持ち、国籍、言語、宗教、肌の色、趣味、世代、職業、性的嗜好、出身地、コミュニティ、サークル、愛するペット、好きなアニメ、映画…まさに、ありとあらゆるアイデンティティのきらめくような複合体です。そんな「人間」の、ほんの一部分だけをターゲットにして線を引き、攻撃し、切り捨てるのは、人間という存在をまっこうから否定すること。一冊の本は、人間の心を深く掘り下げ、そこに生きている人々の喜び、悲しみ、希望、痛みを、まるごと教えてくれる。それは、自分のなかにも同じものがあることを知ることでもあり、理解できないと思う他者の内面を知ることでもあります。翻訳作品を読むことは、安易な排外主義に対抗する、非常に大切な営み。子どもたちに、どんどん海外作品を読んでほしい。そのために、できることを、やっていきたい。そう思っています。
8月25日(月)に開催の日本児童文学者協会 国際部オンライン交流会「ヨーロッパの平和教育 -戦争児童文学を通して―」では、前半部分の司会を務めます。よろしくお願いいたします。