平和を考えるために今子どもたちに手渡したい本 第10回 「語りたくない戦争、語れない平和」小手鞠るいさん

子どもと平和の委員会

もうずいぶん昔のことなので、ここに書いても〈時効〉ということで許されるのではないかと思うのですが、ずいぶん昔に書いたわたしの原稿が出版を目前にして、編集者の上司に当たる人にボツにされたことがあります。作品のテーマは「戦争と平和」でした。編集者と何度も話し合って、推敲に推敲を重ねて完成させた渾身の原稿。編集部からの〈合格〉のお墨付きもいただき、あとは出版されるのを待つばかりの状態になっていました。しかし、最後の最後になって、上司がストップをかけたのです。

 

その理由は——

 

「この作品は、戦争を全面的に否定している。戦争とはこのように、全面的に否定されるべきものではない」

 

ボツにされたこの理由を担当編集者から聞かされたときには、絶望もしましたし、ある種のカルチャーショックを受けました。そうか、世の中には、戦争を全面的に否定しない人もいるんだな、と。編集者は「この上司の判断は変えられない。かといって、小手鞠さんに原稿の書き直しを要請することもできない」と言って、ただひたすら、わたしに対する謝罪を繰り返すばかりでした(その後、この原稿は別の出版社の編集者の目に留まり、無事、出版され、子どもたちが大いに支持してくれて、増刷もされた。信じるべきは子どもたちなんだな、と大いに納得したものだった)。

 

あれから長い年月が過ぎましたが、わたしはこの上司(すでに現役を退かれている)の言葉を忘れることはありませんでしたし、折に触れて思い出してきました。そのたびに、さまざまな思いを抱いてきましたし、その思いには微妙な変化がありました。

 

今のわたしは「戦争は全面的に否定されるべきものではない」というこの人の考え方を全面的に否定することができません。無論、戦争を全面的に肯定する気などさらさらないわけですが、でも、たとえば、戦争を全面的に否定するなら、軍隊、軍人とその家族、武器産業に従事している人たち、のみならず、天皇制だって、否定しなくてはならなくなります。太平洋戦争の最高責任者は、天皇だったわけですから。ロシアとウクライナを例に挙げるなら、ロシアだけじゃなくて、ウクライナの戦争行為も全面的に否定しなくてはならなくなります。また、たとえば太平洋戦争中、軍国少年・少女と呼ばれて、お国のために戦っていた子どもたちでさえ、全面否定しなくてはならなくなります。当然のことながら、特攻隊の兵士たちを美化することもできなくなります。今現在、自衛隊で仕事をしている人たちや、武器産業に従事している人たちを、私たちは否定できるでしょうか。

 

悲しいかな、戦争とは、全面的に否定できないものなのだ、と、いったん思い始めると、戦争の孕んでいるからくりが妙にすっきりと見えてくるのです。太平洋戦争で負けて以来、平和国家を自称している日本ですが、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争などにおいては、武器の生産と供給、基地の提供、戦争支援の資金の提供など、裏ではずっと、これらの戦争を支え続けてきました。そのせいで、朝鮮半島、ヴェトナム、イラクなどで、どれだけ多くの子どもたちが命を落としてきたことでしょう。戦争にはお金が深くからんでいます。戦争の背後には、戦争株式会社が存在しているのです。

 

『ある晴れた夏の朝』を上梓したあと、まっさきに、この作品を支持する、と表明してくれたのは、戦争を体験した世代の方々であり、被爆された方やそのご遺族でした。なかには、兵士として戦場へ行かされた人たちも含まれていました。この反響を目の当たりにして、わたしの目から鱗が落ちたのです。そうか、あの上司の発言は、こういうことだったのか、と。

 

つまり、実際に戦争へ行った人、行かされた人、天皇陛下のために武器を手にして戦った人たちは、戦争を全面否定など、したくてもできないのです。戦地では、戦友たちが大ぜい亡くなっています。無駄に死んでいます。殺し、殺されています。戦争を全面否定する、ということは、そんな人々の命や生き様を全面否定することになります。

 

戦地で兵士として戦ってきた世代の人々は、長きにわたって、戦地での体験を語りたがらなかったようです。語りたくても語れなかった。理解されるとも思えなかった。だから、口を閉ざしてきた。わたしの師であるやなせたかし先生も、最晩年まで「戦争の話はしたくなかった」とおっしゃっていました。村上春樹さんのお父様も(著書によれば)そうだったようです。それはそうでしょう。戦地で敵と戦ってきた人たちには、帰還後、能天気な平和など、語りたくても語れまい。被害者として体験した戦争よりも、加害者として体験した戦争の方が悲惨である、ということなのかもしれません。いや、どちらも悲惨でしょう。比べることなどできません。

 

だからこそ、わたしたちは子どもたちに、戦争の両面を伝えていかなくてはならないのだと思います。かつて日本が侵略し支配していた国々にも、太平洋戦争中の日本以外の子どもたちにも光を当てて、戦争と平和を語っていかなくてはならないのではないか。戦争においては、殺された人も、殺した人も、同じくらいに悲惨で、かわいそうで、あわれなのだ、と。

 

日本には自衛隊という非常に優れた軍隊がある。アメリカ軍との合同訓練もおこなわれている。日本国内には米軍基地がある。日本人は今も、武器を開発し、生産し続けている。それでお金を儲けている人たちもいる。日本国内には、太平洋戦争中、朝鮮半島から強制連行で連れてこられた人々が、敗戦後、日本国籍を取り上げられ「在日」と呼ばれて差別され続けている。日本の目覚ましい高度成長は、朝鮮戦争やヴェトナム戦争中、アメリカに武器を提供していたことによって成し遂げられた。これだけの事実があるのに、日本は平和国家である、などと、どうして語れるのでしょう。子どもたちに、戦争の本当の姿を伝えていくことは、児童文学を志す私たちの使命ではないでしょうか。

 

八月に平和を祈るだけでは、平和など実現できません。平和とは祈るものではなくて、行動して、築いていくもの。八月だけではなくて、一年中。戦後80周年だけではなくて、81年目にも、82年目にも。戦争にも平和にも節目などないのです。

 

*子どもたちに手渡したい本――『ぼくは戦争は大きらい』(やなせたかし著 小学館)