167、出身高校の文芸部から(2025,5,25)

理事長ブログ

【にしかわとよこさんの出版記念会が】

・昨日は、協会員のにしかわとよこさんの詩集『線路わきの子やぎ』の出版記念会が日本橋のレストランでありました。にしかわさんが所属する同人誌『ふろむ』(主に、協会の創作教室の卒業生が集まったグループ)の仲間の皆さんの企画で、アットホームかつ賑やかな、とても楽しい集まりでした。

この詩集の中に、「武家屋敷の紅葉」という詩があり、にしかわさんに「どこの武家屋敷ですか?」と聞いたら、秋田の角館と聞いてびっくり。僕の出身地(正確には隣町)です。なかなか奥深い詩が多く、にしかわさんの長い研鑽を想いました。

【顧問の先生からメールが】

・さて、ちょうど10日前のことです。僕宛で協会事務局に届いたメールが、転送されてきました。差出人を見て、ちょっとびっくり。僕の出身高校である秋田南高校の文芸部の顧問の先生でした。なにしろ高校卒業は60年近い前のことで、僕は文芸部OBでもありません(というか、僕の頃は、多分文芸部はなかったと思います)。

早速見てみると、文芸部で「作家研究」というのをやっていて、今年の対象は斎藤隆介だというのです。それで調べていたら、一昨年、県内の八郎潟町の図書館で僕が斎藤隆介について講演をしていることがわかり、その時の資料を送ってもらうために図書館に連絡したら、僕が卒業生であることが判明した、というふうなことでした。そういえば、少し前に、その八郎潟図書館から、「秋田南高校から、こういう依頼が来ているが、資料を送っていいか」という問い合わせがあったので、いいどころか、僕は卒業生だ、というようなことを返信したのでした。

それを受けての連絡で、そして、できれば、5月か6月に、文芸部の生徒からのインタビューを受けてもらえないか、との依頼でした。僕は6月下旬には、当の「斎藤隆介展」(あきた文学資料館)の打ち合わせのために秋田に行くのですが、部の会誌を7月に発行するということで、下旬では間に合わず、6月2日に、リモートでのインタビューということになりました。(今更ですが、便利ですね、こういう時は。)

【僕の高校時代は】

・という次第で、否応なく、高校生時代を思い出すことになりました。この高校は当時にあっては新しい高校で(僕は4期生)、それが創立60周年というのもビックリでしたが、僕はむしろその新しさにも惹かれて入学したのでした。ところが、というか、逆に、新しい高校だけに、とにかく進学の実績を残さなければならないという感じが学校中にあふれていて、先生たちも熱心というか、必死というか、「勉強、勉強」という雰囲気でした。僕は、秋田市とはかなり離れた、言わば田舎の学校から、初めてこの高校に入ったわけで、当初は中学時代に熱心だった吹奏楽部の部活も楽しみにしていたのですが、秋田市内の中学校の卒業生とはあまりにレベルが違っていて、すぐに辞めてしまいました。ならば、と、新しくできるという「ユネスコ研究会」という部に入ろうと思ったのですが、これが生徒会総会で否決されて部として認められず、つまりは帰宅部の三年間になったわけです。

まあ、「車輪の下」とは言いませんが、勉強漬けの三年間でした。

・その分、確かに本は読みました。放課後すぐ帰るのももったいない気がして、図書館に行って、他の生徒たちが勉強しているのをしり目に、世界文学全集の、名前を知らない作家を手当たり次第に読んだりもしました。だから、図書館の借りだし冊数では、学校で1、2を争っていたと思います。

ですから、まあ、「ひとり文芸部」をやっていたようなものですが、上記のように、文芸部はなかったし、あったとしても、僕は多分入らなかったと思います。

・そんな“灰色”の思い出しかない高校から、そんな依頼が来たわけで、突然過去に引き戻されたような、うれしいような、面食らったような感じだったわけです。自分が高校生だったら、かつての卒業生であるらしい75歳の「児童文学評論家」に、どんな顔をして、どんなことを聞きたいのか、さっぱり見当がつきません。でも、まあ、それは余計な感傷で、客観的に見て、いま斎藤隆介のことを実際に知っていて、語れる人と言ったら、ほとんどいないも同然なので、その点ではお役に立てるでしょう。

総会が近くなりましたが、そのすぐ後に、そうしたインタビューが控えているので、ちょっとドキドキです。