平和を考えるために今こどもたちに手渡したい本   第八回 繁内理恵さん

子どもと平和の委員会

 

『八月の光 失われた声に耳をすませて』と『さくらがさいた』

 

花見にいかないうちに桜が終わってしまいそうなのですが、目の前には満開の桜の表紙が二冊。どちらも、戦争の記憶を心に刻む、大切な本です。

 

『八月の光 失われた声に耳をすませて』(小学館)には、ヒロシマの原爆の記憶を語る七つの短編たちが収められています。表紙に描かれる少女と桜は、そのなかの一篇『雛の顔』がモチーフなのではないかと思います。少女の母である真知子は、職人が丹精こめて作ったお雛様のような美貌で、早くに婿をとって娘である昭子を生みます。満開の桜に誘われてそぞろ歩き、乳母車に寝かせた昭子を忘れて帰ってくるような「もとおらん(役に立たない)」ところのある人でしたが、人の生死の行方を言い当てるような不思議な勘の持ち主。ピカが落とされた日も、「影膳が落ちた」と勤労奉仕に行かずに九死に一生を得たのです。ところが、思いもよらぬ入市被曝(原爆が投下された直後に爆心地近くに入り、残留していた放射性物質が出す放射線の影響を受けること)で、彼女は若い命を散らしてしまいます。勘の鋭い真知子でも、放射能の被曝までは予測できなかった。核の被害は、それまでの人間の人智を超えるものだったのです。満開の桜。散ってゆく花びらに、あの日に失われた命とともに「真知子」というひとりの女性の姿が目の前に浮かび上がる、見事な短編です。

この短編集は、広島平和記念資料館に展示されている有名な「人影の石」をモチーフにした「石の記憶」から、あの日から70年後の日本を舞台にした「カンナ―あなたへの手紙」まで、様々な時間軸と登場人物、手法を使った珠玉の短編が七篇収められています。私は何度読み返したかわからないほど、この本を読んでいますが、最近また手に取ることが多くなりました。繰り返されてはならないと言われたはずの民族浄化のジェノサイドも、世界中が見ている目の前でたやすく行われてしまうのだと思い知らされている「今」という時代に、この物語は呼応しているように思うのです。失われた声に耳をすませること。「その声がもし心の深いところに届けば、私たちの未来にも希望があるかもしれません」という朽木さんの後書きの言葉を噛みしめます。

 

そして、もう一冊の桜の本は、今年の2月に刊行された、あまんきみこさんの新刊『さくらがさいた』(鎌田暢子絵、文研出版)です。桜が咲きほこる土手を、おばあちゃんと孫のクミちゃんが散歩しています。そこにピューッと走ってきた黒い犬を見て、おばあちゃんは、一気に過去へと引き戻されてしまうのです。幼い頃に終戦後の満州から引き揚げてくるとき、さっきの黒い犬とそっくりな仲良しの「クロ」と別れなければならなかった。朽木さんの『彼岸花はきつねのかんざし』(学習研究社)の、也子とキツネの子どもとの別れも思い出します。桜の下で、楽しく遊んだ喜びが大きいほど、クロを置いてゆかねばならない悲しみは大きかった。船が離れていく桟橋で、ずっと遠吠えをしていたクロの姿は、おばあちゃんにとっては凍り付いたままの記憶だったのです。この別れは、あまんさん自身の体験で、このことを作品にするまでに、30年近くかかってしまったことが後書きに書かれています。鎌田さんの描く満開の桜は、胸のなかで決して溶けない、小さな女の子のままの、おばあちゃんの痛みを包み込むように描かれています。この痛みは、ずっとあまんさんの胸の内にあって、作品たちの原風景にもなっているのかもしれない。あまんさんの作品にあふれている、小さな生き物たちへの愛情に、私はいつも心打たれるのですが、つらい記憶とともに歩いてこられた誠実な時間が、愛情となってこの一冊のなかにも凝縮されているようです。

 

この二冊は、これからを生きる子どもたちのために、人間が人間として生きられる未来に歩いていく方向を見失わないために、下にあげた本たちと共に、ずっと読んでいきたい2冊です。

 

 

 

平和を考えるために今子どもたちに手渡したい本

 

1.『八月の光 失われた声に耳をすませて』朽木祥 小学館

2.『さくらがさいた』あまんきみこ作 鎌田暢子絵 文研出版

3.『彼岸花はきつねのかんざし』朽木祥作 ささめやゆき絵 学習研究社

4.『弟の戦争』ロバート・ウェストール 原田勝訳 徳間書店

5.『ピース・ヴィレッジ』岩瀬成子 偕成社

6.『へいわって、どんなこと?〈日・中・韓平和絵本〉』浜田桂子 童心社