162、「詩はきみのそばにいる」(全4巻)が刊行されました(2025,4,5)

理事長ブログ

【新年度です】

・新しい年度になりました。大学の講師をしていた時は、新年度というのは特別な意味がありましたが、今は「5月の総会の準備がいよいよだな」という気分はあるものの、それも含め、3月から4月は地続きという感じで、特に大きな区切りという感じではありません。ただ、同居している孫娘が、幼稚園の「年少」から「年中」になるので、やはり新学期だなあという思いを、今年はやや遅れめの桜を見ながら、感じています。

・さて、協会では、大体一年に1ないし2シリーズのアンソロジーを編纂していますが、そのほとんどは、読み物、短編作品のアンソロジーです。昨年度も(もう「昨年度」になりましたが)偕成社から、

「もし、親友をねたんでしまった」「もし、自分が平凡だと感じたら」など、5つのシチュエーションをテーマにした「人とのつながり こんなときは」(全5巻)というユニークなアンソロジーが刊行されましたし、低学年向けの「きらきらティア」シリーズが、フレーベル館から、第1巻が出たところです。

【ポプラ社の詩のアンソロジー】

・こうした中で、長く(相当に長く)編集作業を続けていたのが、ポプラ社からの詩のアンソロジーでした。いま正確な時間は確認できませんが、5、6年がかり、構想から数えればもっと時間が経っているかもしれません。協会が詩のアンソロジーを出すのは、相当に久しぶりのことですし、収録作品が多くなる分、編集も時間がかかるわけですが、今回のアンソロジーが手間取ったのは、少年詩だけではなく、現代詩はもちろん、明治・大正・昭和前期の近代の詩・童謡や、短歌、俳句、漢詩まで対象を広げたこと、そして日本の詩だけでなく、外国の詩、さらには内外の歌詞も視野に入れたアンソロジーを企画したことが大きいと思います。

・「5、6年もしくはもっと長く」と書きましたが、僕がこのアンソロジーの編纂に関わったのは途中からで、言わば“助っ人”(になったかどうか)として、藤本恵さんと共に、編集委員に加わりました。研究者である藤本さんは、近・現代の詩・童謡に強いから、ということでしょうが、僕の場合は、少年詩の詩集を、多分、詩・童謡の専門家以外では、かなり読んでいる方だからだったと思います。しかし、今回は、今まで読んだ少年詩の詩集を読み返すだけでは足りず、現代詩のアンソロジーや、句集、歌集など、今まであまり読んだことのない分野の本をかなり読みました。

・このアンソロジーのシリーズタイトルは二転三転しましたが、「詩はきみのそばにいる」というタイトルに落ち着きました。全4巻のうち、僕が担当したのは第3巻の「きみの心が駆けめぐるとき、詩は……」で、他の巻もそうですが4章に分かれています。章タイトルは、順に「詩はきみを映しだす」「詩はきみと夢を見る」「詩はきみから始まる」「詩はきみを疑う」となっていて、例えば第一章は、山村暮鳥の「風景 純銀もざいく」(「いちめんのなのはな」が並ぶ有名な詩です)から始まり、「土」(三好達治)「春の鏡」(関今日子)「馬でかければ」(みずかみかずよ)と続き、島崎藤村、唱歌の「紅葉」、新美南吉、萩原朔太郎などが並んで、最後は蕪村の句5句で締めています。

第2章は、「遠き山に日は落ちて」(言うまでもなく、ドボルザークの「新世界」の第二楽章につけた詞です)に始まり、荒井由実の「やさしさに包まれたなら」、柳美里、北原白秋、宮沢賢治などが並び、この章は漢詩の「春暁」で締めている、という具合で、自分で言うのもなんですが、かなり多彩なラインナップになっています。

・僕がこのシリーズの編纂に加わるとなった時に、ひそかに?考えたことが一つあって、それは文字通りの「詩」として書かれたものだけでなく、物語の中に組み込まれたオリジナルの詩(つまり、童話作家が自分の作品のために作った詩)を載せたいということでした。結構探したのですが、やはりそれだけを取り出して詩として“自立”するというものはなかなかないのです。結局一つだけ、あまんきみこさんの『車のいろは空のいろ』の中の「まよなかのお客さん」から、「月のひかりは」という詩を収録することができました。

・というような次第で、協会編としてはもちろん、これまでに出版された若い読者向けの詩のアンソロジーの中でも、かなり独創性の高い本に仕上がったように思っています。Ⅰ冊2300円、「買ってください」とは言いにくいですが、図書館へのリクエストなどで、ぜひ手に取ってご覧いただければと思います。