146、被団協のノーベル平和賞受賞を聞いて(2024,10,15)
【ちょっと、びっくり】
・今年のノーベル平和賞が、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に贈られました。まったく予想もしていなかったので、正直ちょっと驚きでした。1974年(ちょうど50年前ですね)に佐藤栄作元首相が受賞した時と違って、“うれしい驚き”でしたが。
真っ先に頭に浮かんだのは、那須正幹さんのことでした。言うまでもなく、那須さんは原爆の「被爆者」の一人で、今回のことを知ったら、とても喜ばれたと思いますが、必ずしも単純に「喜んだ」かどうか……。昨日のニュースステーションでも、大越キャスターがちょっとだけ(?)石破新首相に突っ込んでいましたが、日本政府は核兵器廃絶という点に関してはまったくの後ろ向きで、核兵器禁止条約に署名しないばかりか、締約国会議にオブザーバー参加すらしようとしません。(ドイツがオブザーバー参加していることは、大越さんの話で、初めて知りました。)そして、石破さんばかりでなく、共産党とれいわ新選組以外の政党は、日本がアメリカの「核の傘」に守られていることを前提にしている感じがしました。
核兵器廃絶が果たして「理想論」でしかないのかどうか。那須さんの『絵で読む広島の原爆』は、その一つの答になっていると思います。被団協のノーベル賞受賞を機に、そうしたことが国内で活発に議論されるようになることこそが、原爆で犠牲になった人たちに報いる途ではないでしょうか。
【被団協と言えば】
・僕が思い出すのは、被団協の相談所理事長を長く務められ、「被爆医師」として広く知られた肥田舜太郎さんのことです。軍医として広島に赴任し、自らも被爆、直後から被爆者の治療、救済に当たってこられた方です。今四十代後半の息子が、小学校に入学する前ですから、四十年以上前のことですが、当時僕は埼玉県川口市に住んでいました。息子が小児ぜんそくで、近くの病院では対処療法的な治療しか受けられないので、埼玉協同病院という大きな病院に連れて行きました。僕は知らなかったのですが、ここの院長が肥田さんだったのです。
治療を待つ間(だったか、会計を待つ間だったか)目の前に掲示板のようなコーナーがあり、そこに原爆の被害者の写真が何枚か貼られていました。それを見た息子の言葉は、今も忘れられません。「お父さん、戦争って、どうして起こるの?」という質問でした。しどろもどろの答しか言えませんでしたが、なんというか、僕は“感動”を覚えました。そうか、こういう写真を見て、小さな子どもからでも、そういう言葉が出てくるのだ、というふうな思いでした。これは、戦争児童文学を考える際の、僕のひとつの原点になっています。僕の「しどろもどろの答」は、「戦争を起こそうという人がいるからだ」というようなことだったと思います。息子はまったく腑に落ちない顔でしたが、無理もありません。
核兵器廃絶がただの「理想論」で、核の傘から外れることが日本を危うくすることなのかどうか。これにきちんと答えるのは結構難しいと思いますが、被団協のノーベル平和賞受賞を本当に喜べるのは、これにきちんと答えていくことではないかと、3歳で被爆した那須さんの顔を思い出しながら、改めて考えたことでした。