144、(ようやく)古田足日展に行ってきました(2024,9,25)

理事長ブログ

【神奈川近代文学館で】

・協会のホームページでもお知らせしていますが、横浜の神奈川近代文学館で、「没後10年 古田足日のぼうけん」展が開催されています。8月10日から始まっていたわけですが、元町・中華街の駅から(そんなに遠いわけではありませんが)歩くことを考えると、「もう少し涼しくなってから」と思い、ようやく一昨日、23日に行ってきました。僕だけでなく、「もう行った?」と聞くと、「涼しくなってから」と答える人が少なからずいて、猛暑はこんなところにも影響しています。

・先に図録をもらっていたので、大体の見当はついていましたが、一言でいえば、「とてもていねいな展示」だなと思いました。何年前からになるでしょうか、神奈川近代文学館では夏休みのこの時期には、例年児童文学関係の企画展を開催していて、僕はそのほとんどを見ていますが、今回の古田展は、特にそういう印象でした。それを可能にしたのは、今回の企画展の編集委員である佐藤宗子さんと宮川健郎さん、そしてかつて古田家で“秘書”的な仕事をしていた西山利佳さんなどが、古田さんが亡くなった後、残された膨大(かつ混沌とした)資料を、相当に時間をかけて整理したうえで神奈川近代文学館に寄贈し、かつその膨大な蔵書が、(前に書きましたが)白梅学園に引き取られたことだったと思います。

例えば、『宿題ひきうけ株式会社』に関しては、いくつかのテキストの絵や初出誌の『教育研究』(この時のタイトルは「進め!ぼくらの海ぞく旗」)のスクラップブックなどと並んで、B4一枚の「創作メモ」がありました。文字通りの「メモ」で、断片的な短い文が脈絡なく書かれていて、「解読」するのは困難でしたが、この作品に限らず、そうした創作メモが他の作品に関しても残されていて、原稿だけでなく、「よく保存していたな」と感心してしまいました。

また、古田さんの未完の作品の一つである「甲賀三郎・根の国の冒険」のところでは、古田さんがこの神話的ファンタジーを書くにあたって参考にした本の(ほんの!)一部の十数冊が並べられていたのですが、そこにはこれまた膨大に附箋が貼られていて、それをいちいち確かめたい気がしました。

・そして、さまざまな資料の中で、目を惹かれたのは、やはり写真でした。古田さんの子ども時代の写真などもありましたが、その中に、お嬢さんがまだ小さい頃、田畑精一さんのご家族と一緒に秩父(だったか)に遊びに行った時の写真があり、1972年のものでした。

【古田さんと出会ってちょうど50年】

・それが余計に印象的だったのは、僕が古田さんに初めて会ったのが、その頃、といっても、2年後の1974年、つまりちょうど50年前のことでした。これは前に書いたことと重なりますが、学生時代に古田足日に強く影響を受け、自分でも創作や評論を書きたいと思ったわけですが、当時は秋田ですから、もちろん古田さんと会うことは叶いません。それが実現したのが、東京に出てきて2年目の1974年の春、ある講座で古田さんの話を聞く会を得ました。そして、その後で何人かでコーヒーを飲み、「僕も評論を書いています」と売り込んで、それがきっかけで、その年の『日本児童文学』10月号に、初めて評論を載せてもらったのでした。その時の初めて会った古田さんは、まあこちらも緊張していましたから、ちょっと怖いというか、いかにも鋭い人という感じが強かったのですが、その72年の写真は、ご家族と一緒の写真でもあり、本当に柔らかい表情でした。いずれにしても、「あれから、ちょうど50年経ったのか……」という思いを、文学館からの帰り道、かみしめたことでした。

・本当なら、もっと早くに企画展に行って紹介したかったのですが、最初に書いたようなことで、会期の終わりになってしまいました。会期は29日、つまり今度の日曜日までですが、涼しくなりましたから(笑)ぜひお出かけください。古田さんの場合は特別ともいえますが、作家がひとつのモチーフを作品に仕上げるために、どれほどのプロセスを経るものなのかということが、本当によく伝わってきます。

・それから、もう一つ紹介したいのですが、没後10年ということで、古田さんの出身地である愛媛新聞で、8月から9月にかけて、7回にわたって「“ぼうけん家”からの伝言」という、連載記事を掲載しました。僕も取材を受けましたが、一人の作家の仕事をここまでていねいに検証した新聞記事というのは、初めて見たように思います。地方新聞なので、実際に見るのは難しいかもしれませんが、どうしてもという方はご連絡いただければコピーをお送りします。

古田足日のぼうけんは、まだまだ続きがありそうです。