142、著作権のこと~南吉さんと那須さん~(2024,9,5)
【本来なら】
・前回の25日は、本当なら、16日に行くはずだった新美南吉記念館がらみのことを書くつもりでした。
「行くはずだった」というのは、その前の大雨で新幹線がストップしてしまったのを受け、会議が9月6日、つまり明日に延期になったからです。会議というのは、記念館の「事業推進委員会」で、いわゆる外部の“有識者会議”という感じでしょうか。一年に一回、夏に開催されます。いつもは日帰りですが、今年はその後別の用件があり、一泊になります。
別の用件というのは、以前に書きましたが、新美南吉著作権管理委員会の資料を、すべて記念館に譲渡することになり、その受け渡しというか、資料説明のためのミーティングをすることになっているからです。
これも前にというより、何度か書いたことですが、「ごんぎつね」の作者である新美南吉は、29歳で未婚で亡くなったこともあり、その著作権管理は、雑誌『赤い鳥』の兄弟子にあたる巽聖歌が行っていました。そして聖歌の死後は、関係者が新美南吉著作権管理委員会という組織を作り、集団的に当たっていました。その「関係者」というのが、関英雄さん始め、児童文学者協会の人たちだったので、管理委員会の事務所は協会の事務局に置かれ、実務は、事務局員が受け持っていました。僕は、事務局員になって、2年目からだったか、それを受け持ちました。
ですから、その間(著作権期限が切れる死後50年までの20年間)、新美南吉の作品が、いつ、誰によって、どのように使われたのか、という資料が、すべて協会事務局にあったわけです。これが、きわめて貴重な資料であることは言うまでもありません。
【記念館の「紀要」で】
・ということで、いずれこの資料は、記念館に譲渡するつもりでしたが、多少とも整理したうえで、そして著作権管理の実務に当たったものとして、20年間の南吉作品の使用のあらましについてまとめてから、ということで、延び延びになっていました。幸い、昨年度の記念館の『研究紀要』に、そのまとめを書く機会を得たので、今回ようやく資料を譲渡する運びとなりました。
・さて、これは前からよく言っていたことですが、明治以降、あまたいる日本の近代の文学者の中で、その作品がもっとも数多く使われたのは誰か?という設問があれば、これは実証するのは難しいですが、僕は第一位が新美南吉、第二位が宮沢賢治で、ほぼまちがいないだろうと思います。知名度から言えば、漱石や芥川龍之介、太宰治あたりになるかもしれませんが、彼らの本が毎年のように新しく出たり、ドラマ化されたり、ということは考えられません。その点、南吉や賢治の場合は、童話で短編が多いということもあって、単独で使われるだけでなく、いろいろなアンソロジーに収録されたり、朗読されたりという機会がとても多いのです。
それで、今回、「紀要」に書くにあたり、協会が著作権管理をしていた20年間で、南吉作品がどの程度使われていたかをカウントしてみました。細かいことは省きますが、使用件数(というか使用申請の件数)は733件で、一年平均37件ほどです。つまり、毎月3件程度、作品が新しい形で世に出ていったということになります。また、さらにすごい?のが印税や使用料の入金の件数で、20年で1898件、一年平均で95件ほどですから、四日に一回は、なんらかの入金があるという、すごいペースです。
使われた作品は、やはりポプュラーな「ごんぎつね」と「手ぶくろを買いに」で50%余りですが、逆に言えば他の作品で半分近くを占めることになります。ある意味予想通りでしたが、今回集計してみて、南吉作品がどれだけ様々な形で流布していたのかを、再認識することになりました。
【そして、那須さんです】
・何度か書いたように、3年前に亡くなられた、元会長の那須正幹さんは、その全著作権を協会に遺贈されました。この話を聞いたときには、ありがたいと同時に、責任の重さも痛感しましたが、著作権管理ということをある程度イメージできたのは、ここまで書いた新美南吉作品の著作権管理の経験があったからだと思います。
その那須さんですが、南吉の時代と違って、ワープロやパソコンというものがあり、那須さんは比較的早くそうした機器を使ったこともあって、また、那須さんがとても整理のいい人だったこともあって、残念ながら、「ズッコケ三人組」シリーズの原稿は、残っていないと思われました。ところが、ポプラ社にその一部が残っており、同社の移転を機に、これが“返還”されてきました。「ズッコケ」シリーズ50巻のうち、第26巻の『ズッコケ三人組対怪盗Ⅹ』から29巻までの四冊、1992年から94年にかけての生原稿です。著作権管理委員で岩崎書店の「お江戸の百太郎」シリーズの担当編集者でもあった津久井さんによれば、那須さんがワープロからいったん手書きに戻した時代のものではないかといいます。
ところが、この原稿には大きな“謎”があり、まだ見ていない方は、ぜひ「那須正幹電子記念室」の新・企画展示「ズッコケ三人組、謎?の原稿」をご覧ください。
・それにしても、日本の文学者の中で、もっとも作品使用の頻度が高いと思われる新美南吉と、戦後の児童書の記録を塗り替えた那須正幹の著作権管理に関わることができた、というのは、考えてみると、きわめてラッキーなことだと思わずにいられません。