133、『女の子たち風船爆弾をつくる』を読んだ(2024,6,5)
【6月になりました】
・前回書いたように、総会が終わり、協会にとって6月は、やや年度初めのような感じになります。特に今年は、次良丸さんから原さんに事務局長が交替し、来週10日の理事会で、各部・委員会の新たな責任者が決まるので(2年に1回、交替します)、「“新体制”の始まり」という気分です。
【そんな折ですが】
・今回は、読んだ本のことを書きたいと思いました。毎日新聞の書評欄で、中島京子さんが紹介していた『女の子たち風船爆弾を作る』(小林エリカ作、文藝春秋)です。風船爆弾を作ったのは当時の女学生たちで、児童文学でもこれを題材にした作品はいくつかあります。特に印象に残っているのは、赤座憲久さんの『ふわり太平洋』(小峰書店、1991年)でしょうか。僕は、この本で、一般には「追い詰められた日本軍が仕掛けたばかげた作戦」というイメージの風船爆弾で、アメリカで実際に(少数とはいえ)犠牲者が出たことを初めて知りました。
・中島さんの書評を読んで、『女の子たち風船爆弾をつくる』は、宝塚歌劇団のことが題材になっているという関心もありましたが、児童文学ではない作品でこの題材がどんなふうに“料理”されているのだろうという、興味がありました。昨日・今日で、一気に読みましたが、その“料理”のされ方に、かなり驚きました。
・この作品の手法を説明するのは、なかなか難しい。なんというか、「複数一人称」とでも名付けたらいいか、全体が「わたしは」というふうに一人称で語られるのですが、その「わたし」が一人ではないのです。もちろん、例えば第一章で男の「わたし」が語り、次の章では女の「わたし」が語り、読者がそれを重ねていくことで「二人の物語」になっていくといった「ダブル一人称」は、これまでもありました。しかし、この作品はそうではありません。同じ段落の中で、並列的に何人かの「わたし」が語っていきます。その「わたし」はどうやら三人のようですが、読みようによっては四人であるようにも読めたりします。
・上記のように、風船爆弾が当時の女学生たちによって作られた、ということは、よく知られています。全国に作業場があったようですが、中心は東京。それも、有楽町の東京宝塚劇場などが“工場”になりました。ここに動員されたのは、三つの女学校、雙葉学園(田園調布雙葉ではなく、四谷雙葉のほう)、跡見学園、そして麹町学園でした。その女学生たちが小学校入学を迎えた昭和9年が、東京宝塚劇場杮落しの年でした。彼女たちは、無論その何年後かに、自分たちがそこで風船爆弾を作ることになろうとは思ってもいません。
・物語は、「わたしは、慰問袋にクリスマスの絵を入れる」「わたしは、慰問袋に刺繡入りのハンカチを入れる」「わたしは、慰問袋にモロゾフのチョコレートを入れる」というように、複数の〈わたし〉の語りが並列されて進められていきます。そのことによって、重層性を感じさせるとともに、なんというかエコーのような揺らぎが感じられて、作品世界の時空が広がっていくような効果を生んでいます。
そして、その複数の〈わたし〉に更に〈わたしたち〉という自称が重ねられます。ここは、昭和10年、ベルリンオリンピックの年、次の大会の東京開催が決まったことを知る場面ですが、「わたしは、路面電車の乗降口に掲げられた五輪旗の束にはしゃぐ」といった〈わたし〉の並びの後に、「五輪旗、ドイツ、ナチ党のハーケンクロイツ旗、わたしたちの日の丸旗」「(聖火リレーは)わたしたちの伊勢神宮を通らなければなるまい」というふうに、巧みに〈わたしたち〉が入り込んでくるのです。こういう手法は見たことがありませんでした。あまりまとめてしまうのもどうかと思いますが、彼女たちが当時の体制の被害者でありつつ、一面ではその体制を構成した一員であるという、これ自体は良くいわれることですが、こうした手法でそれを具現化したことに、やはり感じ入りました。
【ちょっと思い出したこと】
・文学論からやや俗っぽい?話になりますが、風船爆弾で思い出すのは、もう今はない神楽坂のでんでんむしというスナックのママさんのことで、僕が児童文学の仕事をしていると聞いて、そのママさんが、北欧児童文学の翻訳家の山内清子(やまのうち・きよこ)さんが女学校時代の同級生だったと話してくれました。そして、そのママさんが、女学生時代、風船爆弾を作ったというのです。
銀座でママさんをしていて、結婚して鎌倉に住み、お連れ合いが亡くなったので、神楽坂でスナックを始めたという、そのママさんが、どこの女学校だったのか、ウィキペディアで調べてみましたが、山内さんは東京教育大学卒業とはありますが、出身の女学校はわかりません。雙葉にせよ、跡見にせよ、
麹町女学校だったにせよ、当時の“お嬢様”たちによって作られた風船爆弾、宝塚という華やかな場所で作られた風船爆弾、その目のつけどころと、巻末に記された尋常ではない量の参考文献。この作家は、漫画家、アーティストとしても活躍していて、ネットで検索すると、同年の山崎ナオコーラさんとの座談会などもあり、他の作品も読んでみようと思いました。