いま、わたしたちは なにをすべきか(1)

子どもと平和の委員会

いま、わたしたちは なにをすべきか(1)
「せめて悶え神として」
水俣では、他人の不幸を自分のこととして感じ、何もできなくても、せめてその人と一緒に悶え、泣く人たちのことを「悶え神さん」と呼ぶそうです。遠く離れ、日々の忙しさのなかにあっても、一人ひとりがせめて悶え神となって、紛争地の人々に心を寄せ続けたいと思います。(はらまさかず)