114、お祭りの話(2023,9,15)
【秋の祭りが】
・少し前、スマホのニュースで、秋田・角館のお祭りのことが報じられていました(秋田魁新報の配信かな?)。どこもこの三年ほどは、お祭りも中止か、かなり縮小した形で開催されていたでしょうから、盛り上がったことでしょう。
角館は秋田・佐竹藩の(支藩の)城下町で、東北の小京都とも言われ、桜の名所としても有名です。今の知事の佐竹さん(龍角散のテレビCMに出ていました~この薬はもともと佐竹藩の典医が作ったもので、今も原料は秋田産~)は、この角館の“殿様”の子孫です。
・この角館のお祭りは、毎年9月8・9日(7日が宵宮)に開かれるのですが、その呼び物が江戸時代から続く「やまぶつけ」です。町内ごとに趣向を凝らした山車が出るのですが、それが道で出会うと、どちらが道を譲るかを(一応“交渉”のような手順を踏みますが)、山車をぶつけ合うことで決めるのです。つまり、負けた方が道を譲るわけです。山車は“二階建て”になっていて、一階(むしろ地下という感じですが)には三味線や太鼓の囃子方がいます。そして、その上の張りぼて(歴史というか伝承に由来した、例えば弁慶の勧進帳の場面とかを再現した)の前が舞台になっていて、そこには若い女性たちの踊り手がいます。いよいよやまぶつけが始まるとなると、お囃子の音と山車を動かす号令の声、周りの人たちの歓声が合わさって、最高潮の盛り上がりになります。
僕が子どものころは、このやまぶつけで負傷して足が不自由な人や、中には挟まれて亡くなったというような話も聞きました。本気の“やまぶつけ”だったわけです。その後、さすがにそういう危険なことは避けられるようになり、言わば演出されたやまぶつけになったわけです。
【僕の生まれた町は】
・ここまで書くと、僕がその角館出身のようですが、僕が生まれ、育ったのは、隣の長野という小さな町です。その長野の町(その後、昭和の合併で中仙町に、平成の合併で今は大仙市に)にも、ほぼ同時期にお祭りがありました。ですから、僕のお祭りの思い出というのは、ちょっと複雑なのです。地元の長野のお祭り、そして隣町の角館のお祭りが、微妙に重なっているのです。
・僕の町の長野のお祭りは、角館と違って観光客を呼ぶような要素はまったくありません。それでも、いくつかの町内には仮設の舞台が立ち、そこで民謡ショーや旅の一座の芝居がかかります。それも楽しみでしたが、なんといっても子どもたちが待っているのは、露天商の人たちの出店です。前も書いたような気がしますが、小さな町ではありますが、僕の家から歩いて5分圏内くらいに、魚屋、八百屋、肉屋、雑貨屋、電器屋、下駄屋、酒屋、床屋といった生活に必要な店はそろっていました。駄菓子屋や本屋(というより雑誌屋)もありましたが、なかったのはおもちゃ屋です。ですから、お祭りの楽しみは、出店で、おもちゃが買えることでした。ともかく、お祭りの時になると、町の光景が一変するわけで、そうした非日常性は、一年に一度、お祭りの時だけでした。
・さて、角館のお祭りに初めて行ったのは何歳の時だったでしょう。幼い時も行ったかもしれませんが、中学年か高学年になって行った時に、そのものすごいにぎわいに驚きました。上記のように、僕の町のお祭りと角館のお祭りはほぼ同時期なので、どうしても比べてしまいます。というより、比べようもないほど、角館のお祭りはにぎやかで、豪華で、特別なのでした。
その時の思いは、(それまで特別だと思っていた)自分の町のお祭りの“貧相”さに対するひそかな失望と、こんなものすごいお祭りを実現している角館への、ひそかな反感だったような気がします。それでも、お囃子の奏でるリズムには、どうしても引き寄せられてしまうのでした。
【今年は行き損ねましたが】
・そんなやや複雑な思いを抱えながらでしたが、やはりいいものはいいわけで、ちょうど僕が中学生になった頃、町役場を定年で退職した父が、角館の街中のオートバイ屋に勤めたこともあり、そこを根城に、角館のお祭りを存分に楽しむようになりました。ただ、夜までには家に帰らなければならず、深夜まで繰り広げられるやまぶつけは、見たことがありません。今、この年になって時間的にはフリーになり、一度角館のお祭りを(もちろん夜中まで)見に行きたいと思っているのですが、まだ実現していません。その「見たい」という気持ちの中には、ここまで書いたような、少年時代のやや複雑な思いへの郷愁もあるかもしれません。
・なお、角館出身の作家としては高井有一さんが有名ですが、彼は角館生まれではなく、戦時中に父方の出身地である角館に疎開したわけで、そこではかなり苦労されたようです。純粋?角館出身としては、芥川賞候補にもなり、児童書も何冊かある塩野米松さんがいます。僕とほぼ同世代ですが、『藤の木山砦の三銃士』という本は(近年、その改訂版が出たようですが)子ども時代を描いた自伝的な小説で、もちろんお祭りのことも出てきます。また、新潮社の創業者である佐藤義亮も角館出身で、角館には全国で唯一の新潮社記念文学館があり、もう十年以上前になりますが、秋田で国民文化祭が開かれた時、ここで秋田の児童文学に関する展示が行われ、僕もお手伝いしました。