112、ハードな2泊3日でした(2023,8,25)

理事長ブログ

【名古屋、防府に行ってきました、が……】

・前回は、(勝手に)5日付と15日付の「合併号」にさせてもらったので、半月ぶりになります。前回、「16日には新美南吉記念館の会議で愛知県半田に向かい、その日は名古屋に泊まって、翌日山口県防府の那須家にうかがいます」と書いたわけですが、これがなかなか大変なことになりました。

前日の15日に、台風は西日本から北陸に抜けたので、翌朝なんの疑いも持たず、東京駅に向かったのですが、着いたら新幹線の改札のあたりが異常に混んでいます。これはきっと昨日の台風で乗れなかった人たちが押しかけているんだろうと思いきや、改札のところまで行ってみたら、静岡県内の大雨で運転見合わせとのこと、「えー、聞いてないよ!!」という感じでした。

同じく南吉記念館に向かう宮川健郎さんも来ているはずだったので、スマホで連絡を取って合流。「運転再開の見通しは立っていない」とのことだったので、ひとまず協会の事務局(東京駅とつながっている大手町から神楽坂までは10分程度)に“避難”し、待機することにしました。午後からの南吉記念館の会議はキャンセルせざるを得ませんでした。

・昼頃には運転再開するかなと期待していましたが、なかなかそうなりません。結局4時頃に東京駅に向かい、「とにかく乗れるのに乗ろう」とホームに行き、比較的空いてそうなこだまの自由席に乗り込みました。なんとか二人とも座れて、ようやく出発したのが5時45分頃でした。こだまでも通常なら2時間半で名古屋に着きます。まあ、多少遅れたとしても9時くらいには着くかなと思っていました。

この調子で書いていくと、延々と長くなりますが、結局名古屋に着いたのは11時半。6時間近くかかったことになります。田舎の鈍行列車と同じで、着く駅ごとに、信号待ち。そして、後から来る列車に越されるのを待ってようやくスタートという具合でした。後で聞くと夜中に東京駅に着いて車中で夜を明かした人たちも少なくなかったようですから、なんとかこの日のうちに着いて(飛び込んだ居酒屋で一杯やり)ホテルで寝られただけマシだったかもしれません。

【そして、防府へ】

・さて、翌朝です。朝起きてテレビをつけると、新幹線の混乱はまだ続いているとのこと。この日は、午後1時半頃に防府に着いて、那須美佐子夫人やご長女の莉恵さんとご一緒に、2時から防府天満宮の宮司さんとお話をする約束になっていました。前日のことを思うと、その時間に着けるとは到底思えません。その旨、美佐子さんにラインをし、ともかく予定の時間に名古屋駅に向かいました。

僕らが切符を取っていた新幹線は、まだ東京駅を発ってもいませんでしたが、とにかく乗れるのに乗ろうという感じで、岡山行きのひかりに乗り込みました。ところが、というか、思いの外この列車は順調に動き(本来の時間からは2時間以上遅れているわけですが)、ラッキーだったのは岡山で降りたとたん、博多行きのひかりが来たことで、結果的に1時間ほどの遅れで防府に着くことができました。

防府という町は、その名が示す通り、「周防」の「府」だったわけで、特に天満宮は大宰府の天満宮よりも先に創建された歴史を誇ります。那須さんのご長女の莉恵さんが、ここでしばらく巫女さんとして勤めていた話は那須さんから聞いていましたが、そうしたご縁もあり、那須さんのご葬儀は神式で行われ、前にも書いたように、天満宮に隣接する納骨堂に、那須さんは眠っておられます。那須さんが広島出身であることは皆さんご存じと思いますが、防府は美佐子夫人の出身地で、那須さんはプロの書き手として活動するにあたり、広島から防府に移られました。

その天満宮の宮司の方から、莉恵さんを通じて、天満宮の中に、何らかの形で那須さんのメモリアルの場を設けたいというお話があり、一度直接お話を伺わなければと思っていました。今回、一年前からお預かりしている那須さんの資料の返却や、一年間の著作権管理についてご家族に報告がてらうかがと共に、天満宮の方とお会いするという予定をたてたわけです。ですから、1時間遅れたとはいえ、なんとか無事に防府について、やれやれというところでした。著作権管理委員のもう一人の津久井さんも、この日の朝に東京を発って、話し合いが始まって少したった頃には到着でした。そして、今回は、那須さんのお参りがてら、ポプラ社の千葉社長や編集部のお二人もご一緒していただくことになっていました。ポプラ社の方たちは飛行機だったので、僕らのような思いをすることなく(笑)、先に到着していました。

さて、その那須さんのメモリアルの場については、まだかなりに流動的な話でもあり、お伝えできる段階ではありませんが、ともかく地元でこうした動きのあることは、とてもうれしいことでした。

・この日の夜は、我々三人とポプラ社の三人、美佐子夫人と莉恵さん、そのお連れ合いの計九人で、夕食の場を設けました。この日の“任務”をなんとかクリアーした安心感か、前日来の疲れか、いささか飲み過ぎた感もありましたが、おいしい山口料理をいただきました。

【帰りの三日目は】

・ということで、三日目は、もう一度那須家にうかがい、先に協会事務局から送っていた、お預かりしていた資料の返却や、ホームページの記念室で使う写真をお借りしたり、これが午前中には終了しました。那須家を辞し、防府駅前の市立図書館を見学して、予定していた午後3時台の新幹線(新山口駅発で、防府から在来線で15分ほど)を一時間早めて、無事に帰りました。

帰りがあまりに順調で(笑)、なんと速く感じたことか。一日目の南吉記念館の会議に出られなかったので名古屋往復の旅費が浮かず、という問題はありましたが(往きの新幹線の特急券は払い戻しになりましたが)、なんとか宿題はクリアーできた三日間でした。

今回、台風が去った後も新幹線の混乱が続いたのは、お盆の時期で普段以上に(臨時便もあり)過密ダイヤだったことも影響したようです。確かに東海道新幹線は、十分おきくらいに列車が動いていて、ある意味、普通の電車以上の頻度です。それはすごいことですが、いったん混乱すると収拾がつかなくなってしまうことが露呈された感じで、普段そういう事態を想定しないで動いていることの危うさを実感させられた三日間でもありました。