109、児文芸との「理事長対談」が終わりました。(2023,7,18)
【自分でアップできず、3日遅れになりましたが】
・前回書いたとおり、この13日に、児文芸の山本理事長との「理事長対談」がありました。15日にその報告をアップしたかったのですが、新しくなったHPで、まだ自分でブログをアップするIDとかをもらっておらず、事務局を通じてやってもらっている段階です。そのため、連休明けの今日になりました。
・まずは、理事長対談の場所ですが、最初に『日本児童文学』編集長の奥山さんから話を聞いた時に、どっちかの事務局というのは、まずいだろうと思いました。国同士の首脳会談でも、出かけていく方がなんとなく“格下”のような印象になってしまうではありませんか。まあ、首脳会談というわけでもないし(笑)、それが一番手っ取り早いことは確かですが、経験上、そういうことを気にする人はいるものです。
それで、例えば出版クラブといった会場を借りるということも一瞬考えましたが、それもなんだか味気ないような気がします。その時、ふっとひとつの出版社の名前が頭に浮かびました。「銀の鈴社」です。
【ということで、理事長対談は鎌倉で】
・銀の鈴社は、『日本児童文学』に毎号広告を出してくれていますし、特に詩の分野の方は、よくご存知だと思います。今は詩集を中心とした出版活動をされていますが、この銀の鈴社の前身は、教育出版センターという会社でした。古い会員の方は、ご記憶かと思いますが、かつて『日本児童文学』の発行元でした。1980年代後半のことですから、もう三十数年前後も前のことになります。その前は偕成社から出ていたわけですが、ちょっとトラブルがあって、偕成社が発行を辞退するという事がありました。なかなか偕成社に代わる出版社があるとは思えず、雑誌が出なくなる危機だったと思いますが、それを引き受けてくれたのが教育出版センターでした。
当時僕は事務局長でしたから、理事長の関英雄さんと一緒に、教育出版センターの柴崎社長と、編集長格の柴崎夫人とお会いした時のことは、よく覚えています。その「柴崎夫人」が、現協会員で、「野の花画家」として活躍されている阿見みどりさんです。そして、実際に雑誌の編集を担当してくれたのは、娘さんの柴崎(現・西野)真由美さんでした。
その後、教育出版センターは銀の鈴社として生まれ変わり、上記のように少年誌の詩集を中心に出版されています。というより、少年詩・童謡の世界を代表する出版社だと思います。今年の三越左千夫少年詩賞受賞の『星の声、星の子へ』(星野良一さん)も、同社の出版でした。
・ここまで銀の鈴社と児文協の関係を述べてきましたが、実は近年まで、銀の鈴社は児文芸の『児童文芸』(以前は隔月刊でしたが、最近季刊になりました)の発売元を引き受けられていたのです。上記の阿見さんは児文芸の会員でもいらっしゃるので、そうした御縁もあるかと思います。つまり、あまた(?)ある児童書関連の出版社の中で、唯一銀の鈴社だけが、『日本児童文学』と『児童文芸』両誌の発行に関わったわけで、僕は両協会の理事長対談をするのなら、ここをお借りするのが一番と考えました。
・同社は、発足当時は銀座に事務所があり、その時に一度うかがったことがありますが、その後、もう十年ほど前になるでしょうか、鎌倉に移られました。ちょっとしたイベントもできる社屋とうかがっていましたが、僕は今までうかがう機会がなく、正直この機会に行ってみたいという気持ちもありました。それに、児文芸の山本理事長は逗子にお住まいということも知っていましたから、その点でも好都合と思ったわけです。
【そして、13日……】
・理事長対談は、13日(木)の午後2時からということで、奥山編集長と編集担当の次良丸さんと、鎌倉駅の西口で1時半に待ち合わせることにしました。僕は埼玉県の真ん中辺に住んでおり、近くはありませんが、東武東上線から乗り換えなしに横浜まで行けますし、池袋で乗り換えて湘南新宿ラインを使う方法もあります。概ね2時間という見当でした。
それで、途中の池袋で簡単に昼食を済ませて鎌倉に向かおうと、12時過ぎにJR池袋駅の湘南新宿ラインのホームに行ったのですが、11時半過ぎの電車がまだ着いていません。鎌倉方面で朝方事故があったようなのです。
こういう時に便利なのは、スマホの経路を検索する機能です。東京駅か品川から東海道線を使ってともかく横浜まで行こうかなと調べてみましたが、こちらも同じ事故の余波で遅れているようです。結局、池袋から品川に行って、そこから京浜急行で横浜に向かい、横須賀線に乗り換えるという形になりました。結局僕が銀の鈴社に着いたのは、ちょぅど午後2時頃でした。
・銀の鈴社は、鎌倉駅西口から10分ほど。反対側の東口が八幡宮などに向かう出口で、西口は江ノ電の乗り場がある方です。時間がないのでタクシーに乗り、スマホの地図を見せましたが、運転手さんは「銀の鈴社」でわかりました。駅から近いといっても、東口方面と違って、静かな住宅街という感じのところで、しかもバス通りからは少し高台になっていて、会議室からは豊かな緑が見える、とても落ち着くというか、そのままペンションにしてもいいような立地のところでした。
【さて、対談の中身は……】
・ということで、会場をお願いした銀の鈴社のことで、随分長くなりましたが、対談は、そんな次第で、予定よりは少し遅れて始まりましたが、2時間程度という予定を大幅にオーバーして、6時近くまでかかりました。前半が『児童文芸』編集長の石川さんの進行で、主に、山本さんや僕が、どのような経緯で、児童文学の世界に入り、また協会との接点を持ったのかといった、言わば「過去編」。そして、後半が奥山編集長の進行で、現在それぞれの協会が進めている事業や課題、そして最後はこの業界に二つの作家団体があることをどう考えるかといった、言わば「現在と未来編」という内容でした。
・それをここで詳しく報告することは無理ですし、いずれ読んでいただけるわけですが、最後のほうはいささかくたびれて、また元々児文芸の山本理事長とはいろいろな場でご一緒し、親しい間柄でもありますので、協会が抱えている問題点をいろいろ話した割には、なんか“展望”という部分をほとんど語れなかったような感じもあり、これは後でちょっとフォローしなくては、と正直思った次第でした。でも、逆に言えば、両理事長とも、結構本音で話し合えた感じがあり、とても楽しい時間でした。
・そんな理事長対談で、しかもせっかく鎌倉に集まって、ということもあり、銀の鈴社さんのご厚意で、終了後は懇親会をということになっていました。もちろん会費制にはしたものの、この点でも銀の鈴社さんに、いろいろとお心遣いをいただきました。
僕は多分それなりに遅い時間になるだろうという予想でもあったので、埼玉の自宅まで帰るのはいささかおっくうでもあり、横浜の姉のところに泊まり、なんというか、この日一日、小旅行という感じの一日でもありました。
・次の日が理事会で、この日の理事会では、機関誌の発行、普及ということをめぐっての集中審議となり、これも報告したい中身があるのですが、次回に回します。
いま、これを書いているのは16日ですが、郷里・秋田の大雨を心配しつつ、の時間でした。