1『ズッコケ三人組』のはじまり

小がらで、すばしっこく、口のわるいハチベエ。
トイレのなかでも勉強するくせに、成績はいまひとつのハカセ。
食いしんぼうで、動作はスローモーなモーちゃん。
私たちにすっかりおなじみの三人組は、いつ登場したのでしょうか。
ハチベエ、ハカセ、モーちゃんは、はじめから「ズッコケ三人組」だったのではありません。最初は、「〈れんさい物語〉ずっこけ三銃士」というタイトルで、雑誌『6年の学習』(学習研究社)の1976年4月号から77年3月号まで全12回にわたって連載されたのです。

「三銃士」から「三人組」へ

  • 那須さんの自筆年譜によれば、1976年12月ごろ、ポプラ社編集部の坂井宏先さんが、当時那須さんが暮らしていた広島をおとずれ、連載中の「ずっこけ三銃士」を見て単行本化を約束したとあります。実際に刊行されたのは1978年2月、『それいけズッコケ三人組』と改題されて本になりました。ひらがなの「ずっこけ」がカタカナになり、「三銃士」は「三人組」になりました。挿絵は、連載のときと同じ漫画家の前川かずおさんです。三人組のキャラクターの魅力で、読者を物語に引き込みました。

“幻”の連載最終回

  • 単行本『それいけズッコケ三人組』に収録されたのは、連載の第11回「ゆめのゴールデンクイズNo,3」まででした。連載の最終回「さよなら三銃士」は、単行本にはのらなかったのです。

    『ズッコケ三人組の大研究Ⅱ 那須正幹研究読本』(石井直人・宮川健郎編、ポプラ社2000年)に、「幻の『ズッコケ』最終回」として、その「さよなら三銃士」が掲載されています。

    「さよなら三銃士」は、「三月になった。わが三銃士たちも、いよいよ花山第二小学校ともお別れである。」と書き出されます。ハチベエ、ハカセ、モーちゃんがいっしょに登校する途中、モーちゃんが「あのね、きのうおかしなことがあったんだ。」と言い出します。となりの6年2組の吉井チカという子が、家にいないときにやってきて、姉さんにモーちゃんのことをいろいろ聞いていったというのです。ハカセにも同じことがあり、女の子は、ハチベエのことも聞いたのです。

    ハチベエが2組にとびこんで、吉井チカに「プライバシーのしん害」だと文句をいうと、チカは、ある小説家の先生が3人に興味をもっているといいます。――「小説の主人公になるわよ。あなたたち……。」

シリーズ化への道

  • チカにつれられて、その先生をたずねていくと、それが「童話作家那須正幹氏」でした。那須氏は、『6年の学習』に「現代の理想的少年たちの物語」を連載することになって、3人をモデルにしようと考えていたのです。

    「さよなら三銃士」のおしまいは、3人が『6年の学習』の「ずっこけ三銃士」の連載第1回を読むという場面です。それは、花山第二小学校の卒業式の朝のことでした。

    この最終回が収録されなかったことによって、『ズッコケ三人組』がシリーズ化される道が開かれたといえます。

    シリーズ第2作『ぼくらはズッコケ探偵団』の刊行は1979年4月、第3作『ズッコケ㊙大作戦』は1980年3月、第10作ころから、毎年夏休みとクリスマスのころに必ず刊行されるようになります。

『ズッコケ三人組』がシリーズ化されると、前川かずおさんは、三人組以外の登場人物のキャラクターもつぎつぎと起こしていきます。

三人組27年目の卒業式

  • ところが、前川かずおさんは、第25巻『ズッコケ三人組の未来報告』(1992年8月)の挿絵を描いたあと病気で亡くなり、第26作『ズッコケ三人組対怪盗X』(1992年12月)からは、前川さんの原画をもとに、アニメーターの高橋信也さんが作画していきました。

    さて、三人組がほんとうの卒業式をむかえるのは、最終巻の第50巻『ズッコケ三人組の卒業式』(2004年12月)、『6年の学習』連載最終回の“幻”の卒業式から27年経ってのことでした。

    (文・宮川健郎)

次回予告

次回は「お江戸の百太郎を歩く(仮)」を予定しています。