2『お江戸の百太郎』を歩く

それまでの児童文学では類書のなかった本格的な捕物帳である『お江戸の百太郎』。
物語の舞台になった場所を実際に歩きながら、その魅力に迫ります。

(1)『お江戸の百太郎』誕生まで

  • 「お江戸の百太郎」シリーズは、岡っ引きの千次とむすこの百太郎が江戸の町を舞台に活躍する全6巻の捕物帳です。
    1巻目の『お江戸の百太郎』は最初、月刊誌「子どもと読書」(親子読書・地域文庫全国連絡会発行)の誌上で、1986年1月号から12月号まで、12回連載されました。春夏秋冬にちなむ4話で構成されていて、400字原稿用紙20枚×3回(60枚)で1話完結、全体で約240枚の連作になっています。
    1986年12月、連載終了と同時期に、岩崎書店から単行本が刊行されました。さし絵は連載時と同じく長野ヒデ子さんが担当しました。百太郎親子をはじめとする登場人物や江戸の町並みが伸びやかな筆致で描かれて、捕物帳の世界を豊かに彩ってくれました。
    2巻目以降、一部例外はあるもののほぼ1年に1巻のペースで刊行を続けて、1994年11月刊の『お江戸の百太郎 乙松、宙に舞う』をもって全6巻のシリーズが完結しました。なお、この6巻目で、翌95年に日本児童文学者協会賞を受賞しています。それまでに児童文学としては類書のなかった本格的な捕物帳という点が高く評価されたのでした。

    『お江戸の百太郎』(那須正幹・作 長野ヒデ子・画 岩崎書店 1986年)

(2)シリーズの舞台

  • 『お江戸の百太郎』見返し(長野ヒデ子画)
  • 『江戸切絵図 本所絵図』景山致恭ほか編  尾張屋清七 嘉永2-文久2(1849-1862)刊
  • 千次は南町奉行所の同心、佐竹左門から十手とお手当をもらって、奉行所の仕事を手伝っています。人呼んで大仏の千次。体が大きくて、人柄もよいことから、そんなあだ名がついたのです。でも捕物の腕はさっぱりで、これまで手柄らしい手柄を立てたことがありません。その分、息子の百太郎はまだ12歳ですが、よくできた子で、おやじ顔負け。5年前に母親が亡くなっていて、いまは千次とふたり暮らしです。
    シリーズの舞台は主に本所、深川周辺で、現在の山手線の東外側、JR総武線の両国から亀戸沿線の墨田区、江東区の地域です。このあたりは、明暦の大火(1657年)以降に開拓された地域に、旗本や御家人などの下級武士と町人の住まいが混在していました。時代は町人文化が盛んだった文政5年(1822年)から文政6年に設定されています。
    那須さんがここを物語の舞台に選んだのは、大学卒業後につとめた自動車販売会社で、この界隈が担当エリアだったために、十分な土地勘があったからです。
    百太郎親子が住んでいる長屋は本所亀沢町にありました。両国駅南口を出て東に500メートルほど歩いた、いまの両国4丁目あたりです。
    周辺には、隅田川、両国橋(注1)、回向院(注2)があり、同時代には葛飾北斎や勝海舟もこのあたりに住んでいました。
    百太郎の長屋のすぐ近くには、子どもたちがたこあげなどを楽しむ榛の木馬場という広い空地があって、いまはその一画に榛稲荷神社が残っています。
    友だちの寅吉が住んでいる長屋は、竪川(注3)の二の橋と三の橋の間にある緑町に、ふたりが通っている寺子屋・秋月塾は一の橋付近の相生町にありました。ここの先生は秋月精之介といって、元はれっきとした侍なのですが、いまは訳あって、子ども相手に書道などを教えています。
    『お江戸の百太郎』の第1話「お千賀ちゃんがさらわれた」に登場するお千賀ちゃんの実家、材木問屋・伊勢屋は深川森下町にありました。
    このように、歩いてせいぜい小一時間の界隈が「お江戸の百太郎」の舞台になっています。

  • 両国駅
  • 両国橋
  • 回向院
  • 榛稲荷神社
  • 竪川

(3)舞台を歩く

  • 第1話「お千賀ちゃんがさらわれた」は、伊勢屋の番頭、真助が千次の家をたずねてきたところから物語が始まります。
    伊勢屋のひとり娘、お千賀ちゃんが前日に、藤の花見物に出かけた亀戸天神(注4)で誘拐され、脅迫状が投げ込まれたというのです。
    「むすめは、あずかっている。かえしてほしくば、あすの戌の刻(午後8時)に、柳島の妙見堂に三百両もってこい。かねは、みせのこぞうにもたせること。やくにんにしらせたりすると、むすめのいのちはないものとおもえ」

    お千賀ちゃんの救出を依頼された千次と百太郎はさっそく、犯行現場である亀戸天神に向かいました。本文では、次のように道順が示されています。

    お竹蔵の堀にそって北にあるき、堀のきれたところから右にまがれば吉田町。横川にかかる法恩寺橋をわたって、寺を左にみながら、もうひとつ横十間川の天神橋をこえると、ゆくてに大きな鳥居がみえてきます。お千賀ちゃんのすがたがきえたという、亀戸天神です。

    お竹蔵には、幕府の木材などを保管しておく広大な蔵が立ち並んでいました。現在そこには両国国技館や江戸東京博物館などがあります。

    亀戸天神

  • 横川は、江戸城から見て横(南北)に流れているところから、こう呼ばれました。横十間川も横川同様、横に流れていて、川幅が10間(18メートル)あったので、この名がつきました。横川と竪川が交差するあたりの入江町には、時刻を知らせる時の鐘がありました。

    さて、亀戸天神での聞き込みを終えた百太郎はその足で、相生町の秋月先生をたずね、脅迫状の筆跡鑑定を依頼しました。筆跡が事件解決のカギをにぎっていると睨んだのです。さらに森下町の伊勢屋で、小僧にばけて、百太郎が身代金を運ぶ打ち合わせをしました。
    夜を待って、百太郎は柳島の妙見堂に向かいました。北十間川(注5)と横十間川が交わったところに法性寺というお寺があって、土地の人はここを妙見堂と呼んでいました。夜になると人通りも少なく、さびしい場所だったので、犯人はここを身代金受け渡しの場所に指定したのです。
    妙見堂についたとたん、百太郎はとらわれてしまいます。そこにあらわれたのは、あの番頭、真助でした。彼がお千賀ちゃん誘拐の犯人だったのです。
    閉じ込められた納屋から脱出する百太郎とお千賀ちゃんの身に危険が迫るなか、愛犬クロ、秋月先生、千次があらわれ、真助一味をお縄にしました。百太郎の推理通り、脅迫状は真助が自ら書いたものでした。
    こうして、百太郎はみごと捕物デビューを果たし、次つぎと難事件を解決していくのです。

  • 横川
  • 横十間川
  • 北十間川
  • 妙見堂
  • 第2話「道をきくゆうれい」では、ゆうれい出没の怪事件に百太郎がいどみます。

    竪川の北、お竹蔵の堀から亀戸の方向に、せまい堀割が流れています。割下水とよばれる人工の川でした。割下水の両側は、武家屋敷がならび、ひるまでも人通りがすくないところでした。

    その一画の三笠町にある旗本屋敷にゆうれいがあらわれ、その直後に、そこの殿様が殺されてしまったのです。
    ゆうれい騒ぎはこの後も続きます。山王祭が終わった矢先、こんどは、小名木川(注6)と横川が交差するあたりの深川西町にゆうれいがあらわれました。だれが、どんな目的でゆうれい騒ぎをしかけているのか。百太郎が名推理で犯人に迫ります。
    第3話「三番蔵」、第4話「文字焼きの若さま」と、事件はますます複雑になり、百太郎の活躍の場も広がっていきます。
    みなさんも、江戸の切絵図を片手に、百太郎の舞台をたどってみませんか。

    <注>
    1 隅田川にかかる橋としては、千住大橋についで2番目に古い橋。橋詰には洪水を防ぐために大量の杭を打ち込んだ百本杭があった。
    2 明暦の大火(1657年)の犠牲者を慰霊するために開かれたお寺で、勧進相撲が行われていた。
    3 明暦の大火後に工事が始まった運河で、江戸城から見て縦(東西)に流れていたので、こう呼ばれた。
    4 菅原道眞を祀っていて、梅や藤の名所として、またうそ替え神事で知られている神社。
    5 旧中川と隅田川を東西につなぐ運河として開拓された。墨田区役所のすぐ後ろから流れが始まり、スカイツリーのすぐ下を流れて旧中川に注いでいる。
    6 北十間川同様、旧中川と隅田川を結び、途中で横十間川、横川と交差する。

    (文・津久井惠)