3 ズッコケ三人組、謎?の原稿

作家といえば、やはり見てみたいのが生原稿(手書き原稿)。しかし、1980年代後半からワープロが急速に普及し、原稿を手書きする作家は減っていきました。児童文学作家のなかでも早い段階でワープロを使い始めた那須さん。そのため、近年の作品は手書きの原稿がないと思われてきましたが…。

突然の連絡

  • 協会に届いた生原稿

    2023年10月のことです。
    ポプラ社編集部から、「ズッコケ三人組」シリーズの生原稿があると連絡が入りました。

    後日、ポプラ社から受け取った生原稿は5点。
    いずれも「那須正幹用箋」と記された罫がエメラルドグリーンの原稿用紙に、那須さんのきれいな字で書かれていました(那須さんは25歳の時に自動車のセールスマンを辞め、東京から広島へ帰郷。家業の書道塾を10年ほど手伝っており、非常に達筆でした)。

     

  • 生原稿のタイトルは以下の通り、シリーズの第26~30巻で、1990年代前半の作品です。

    26巻 『ズッコケ三人組対怪盗X』  (1992.12)

    27巻 『ズッコケ三人組の大運動会』 (1993.7)

    28巻 『参上! ズッコケ忍者軍団』 (1993.12)

    29巻 『ズッコケ三人組のミステリーツアー』 (1994.7)

    30巻 『ズッコケ三人組と学校の怪談』 (1994.12)

    「ズッコケ」シリーズ26~30巻

  • 「スッコケ三人組」シリーズは、どの作品も4章で構成されています。1章あたり原稿用紙およそ50枚。つまり1作品は原稿用紙およそ200枚という計算です。
    原稿はとてもきれいで、書き直しや書き込みなどはほとんどなく、ポプラ社宛に「清書」原稿として送られたものだと思われます。それでも、じっくり見ていくと、推敲のあとがあります。特に29巻の『ズッコケ三人組のミステリーツアー』では、文章を消している部分がいくつもあり、那須さんがいったん清書した後でもいろいろと悩みながら書いていた様子を想像することができます。

  • 推敲の様子 1
  • 推敲の様子 2
  • 生原稿があるという突然のニュースは、著作権管理委員にとっても意外なものでした。というのも、那須さんは比較的早くワープロに移行しており、そのため、近年の原稿については、そもそも手書き原稿というものがありません。ただ、那須さんはワープロを使い始めてから、いったん手書きに戻し、その後、パソコンに移行したようです。1990年代前半という時期からみて、おそらくこの原稿は、いったん手書きに戻した時期のものと思われます。

几帳面できれい好きな那須さん

  • 那須さんは2021年7月に亡くなられ、その遺志により、日本児童文学者協会が那須さんのすべての著作権の遺贈を受けました。その後、協会には著作権管理委員会が組織され、委員は那須さんの作品を整理すべく、山口県防府市にある那須さんのご自宅を訪ね、資料を持ち帰りました。
    その際、委員は、作品の生原稿が見つかるのではと期待したのですが、そういったものは残念ながらみつかりませんでした。那須さんは几帳面な性格できれい好き、常日頃から整理整頓を心がけていた方で、書斎は整然としていました。書斎には、余計なものがなく、おそらく生原稿といった類の物も、ご自分で折々に処分されたようでした。

生原稿に残された謎、1ページ目はどこに?

  • ところで、ズッコケシリーズは年2回、決まった時期に出され、原稿枚数は前述した通りどれもほぼ同じです。
    協会に届いた原稿はどの作品もおよそ50枚。すべて第1章のみでした。
    そして、なぜか…
    すべて原稿の1枚目がないのでした。

    すべて2ページ目から始まる生原稿

  • 生原稿はどれも2ページ目から。1ページ目は、何かに使われたのでしょうか。
    そして、その後、ほかの原稿とは別のところにしまわれたのでしょうか。
    なにせ30年以上も前のことで、ポプラ社の方も、当時の編集者の方も、誰にもその理由はわからず、いまだ謎のままです。

    亡くなってからもなお、私たちに謎を残してくれているなんて、いかにも那須さんらしいですね。

    (文・はらまさかず)