4 那須正幹と映画 (後編)~残されたDVDから~
(前編)の冒頭でも触れたように、那須さんが残された映画のDVDは約400本。このうち、邦画が約80本、洋画は4倍の約320本で、いずれもTV用映画も含みます。制作年順にみていくと、那須さんが生まれる前の1930年代から、2010年代にわたっています。那須さんがリアルタイムで観た映画だけではなく、リバイバル上映や、後で評判を聞いてDVDを購入したものなども含まれると思いますが、そのラインナップからは、那須さんの関心、好みがうかがわれます。
那須さんが出会った名画の数々
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・まずは、一番古い1930年代では、『西部戦線異状なし』(30年)『望郷』(37年)『オズの魔法使い』(39年)『風と共に去りぬ』(39年)など、全部で7本と数は少ないですが名作ばかりです。
1940年代も洋画のみで『ファンタジア』(40年)『マルタの鷹』(41年)『誰が為に鐘は鳴る』(43年)『無防備都市』(45年)『赤い靴』(48年)『第三の男』(49年)など、これもよく知られた作品が14本ありました。
1950年代になると『東京物語』(53年)『喜びも悲しみも幾歳月』(57年)『幕末太陽伝』(57年)『人間の條件』(全五部・59~61年)など、邦画のDVDが7本ありました。それに対して洋画は60本近くもあります。ジャンルも『聖衣』(53年)などの史劇から、『眼下の敵』(57年)や『渚にて』(59年)などの戦争映画、『恐怖の報酬』(52年)『12人の怒れる男たち』(57年)などサスペンスやミステリー、『グレン・ミラー物語』(54年)などの音楽映画、『老人と海』(58年)などの文芸作品、『シェーン』(52年)や『リオブラボー』(59年)などの西部劇、マリリン・モンローの『七年目の浮気』(55年)や『お熱いのがお好き』(59年)などのコメディまで、多岐にわたります。
この50年代は那須さんが小学校高学年から高校生の多感な時期で、本数が多いのはそれだけ映画をたくさん観ていた証でしょう。
仕事をさぼって? 映画を観ていたサラリーマン時代
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・1960年代の前半の那須さんは大学生活を謳歌されています。山岳部に入部して、一年のうち100日くらいは山ですごすこともあったらしく、映画を観る回数も減っていたのかもしれません。
1965年に大学を卒業して上京、自動車のセールスマンになりました。前編で触れたように、この頃のことを「会社を出て一日ビリヤードをしたり、映画を観てすごす日も多く……」と回想している那須さんですが、60年代後半からは、また映画を観る機会が増えたようで、50年代と同じくらいの本数のDVDが残されています。
洋画に比べて邦画の数は少ないですが、黒澤明作品の『用心棒』(61年)や『椿三十郎』(63年)、小林正樹監督の『切腹』(62年)『怪談』(64年)、今村昌平監督の『にっぽん昆虫記』(63年)『神々の深き欲望』(68年)、山本薩夫監督の『白い巨塔』(61年)や内田吐夢監督の『飢餓海峡』(64年)など、日本を代表する監督の名作が揃っていました。
洋画は50本以上もあり、邦画に比べサスペンスやミステリー、ホラーやアドベンチャーなど娯楽性の高い作品が多いのが特徴です。なかでもノルマンディー上陸をリアルに描いた『史上最大の作戦』(62年)や、パリ解放の戦いを描いた『パリは燃えているか』(66年)など、戦争映画の大作が目立ちます。アラン・ドロンをスターにした『太陽がいっぱい』(60年)や、ミュージカル映画の名作『ウエストサイド物語』(61年)、アメリカン・ニューシネマの原点となった『俺たちに明日はない』(67年)など、大ヒットした映画も含まれています。
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・1970年代になると那須さんは広島に戻り、書道講師をしながら創作活動を始めています。でも、映画は観続けていたようで、60年代と比べてもDVDの数は減っていません。邦画はむしろ増えており『仁義なき戦い』(73年)はシリーズ全6作がありました。ベストセラーを映画化した『日本沈没』(73年)『人間の証明』(77年)『復讐するは我にあり』(79年)などは往事の話題作でした。山本薩夫監督の『華麗なる一族』(74年)『金環食』(75年)『戦争と人間』(三部作70~73年)もベストセラーの映画化です。
洋画については、刑事が活躍する『ダーティハリー』(71年)や『フレンチコレクション』(71年)、探偵が事件を暴く『さらば愛しき女よ』(75年)や 『オリエンタル急行殺人事件』(78年)、スリルとサスペンスで迫力満点の『ポセイドン・アドベンチャー』(72年)『タワーリング・インフェルノ』(74年)『ジョーズ』(75年)など。朝鮮戦争をコミカルに描いた『マッシュ』(70年)や、ドイツ空挺部隊のイギリス首相チャーチル誘拐作戦を描いた『鷹は舞い降りたか』(76年)など、面白く楽しめる作品が多く、ジャンル的には60年代とほぼ同じです。
1980年代も残されたDVDの本数は60~70年代とほぼ同じで、ジャンルについても似たような傾向でした。特に洋画は娯楽性のある映画が主流ですが、そうした中にも、『Uボート』(81年)や『プラトーン』(86年)などの反戦映画や、『評決』(82年)や『スタンド・バイ・ミー』(86年)など、ヒューマンな作品もありました。
邦画は『ツィゴイネルワイゼン』(80年)『北斎漫画』(81年)『麻雀放浪記』(84年)『お葬式』(84年)『蒲田行進曲』(86年)など、異色の話題作が揃っていました。
戦争映画とミステリー系映画がお好き?
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・1990年以降は残されたDVDも徐々に少なくなります。那須さんは『子どもにおくるエッセー集 夕焼けの子どもたち』(岩崎書店)に、90年前後の自分の生活を次のように紹介しています。
朝は八時前に起床して食事を済ませ二男を幼稚園に連れていき、戻ると長女と散歩や買物にいくこともあり、「締切りのせまった原稿があれば、朝から書斎にこもることもある」。午後は五時まで仕事、そのあと四人の子どもの入浴や食事など八時過ぎまで世話をする。「夜はいっさい仕事をせず、テレビを見るか本を読むかのどちらかで……」、そして、十一時にはベッドに入るとあります。
このような日常では、映画を観る時間も限られていたでしょう。そのためか、邦画は『夢』(90年)『シコふんじゃった』(91年)『デルス・ウザーラ』(95年)などの6本だけ。洋画は『チャイナタウン』(90年)『羊たちの沈黙』(91年)など、ミステリーを中心に24本のDVDが残されていました。
2000年代にかけても同様で、邦画は『おくりびと』(08年)『60歳のラブレター』(09年)などの6本。洋画も『ラストサムライ』(03年)『ダ・ヴィンチコード』(06年)『硫黄島からの手紙』(06年)などの24本と減少しています。
2010年代になるとさらに減って邦画は3本、洋画は13本だけです。おそらく90年代以降は、映画館で見過ごした作品や見直したい作品を、DVDを入手して観ていたのではないでしょうか。また、新作はTVで放送される機会も多く、わざわざDVDで観る必要がなかったかもしれません。
劇場用映画のほかに、TV放送用に制作された映画やドラマのDVDも残っていました。いずれも人気番組のシリーズ物で、『刑事コロンボ』(22巻)、『名探偵ポアロ』(約40巻)、『シャーロック・ホームズの冒険』(12巻)などです。
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・残されたDVDから見えることは、戦争映画が80本ほどと多くあり、次いで推理・犯罪などミステリー作品とサスペンスやアドベンチャー映画が合わせて60本前後、そして西部劇が20本ほどありました。邦画・洋画を含めて、メロドラマや女性向けの作品はほとんどみられません。邦画では、小津安二郎監督は『東京物語』、木下恵介監督は『喜びも悲しみも幾歳月』の1本ずつで、女性映画の名匠・成瀬巳喜男監督作品は1本もありませんでした。最も多かったのは黒澤明監督で8本、山本薩夫監督が4本で続きます。那須さんの作品世界が、そこから何となくうかがえるようです。
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那須さんが亡くなる前、黒澤明が監督したソ連映画で、壮大なシベリアの厳しい自然の中で天涯孤独で暮らす猟師を描いた『デルス・ウザーラ』を繰り返し観ていたと、奥さんが話されていたそうです。映画は、最後まで那須さんの傍にあったことがうかがわれます。
(文責・中野幸隆)