那須正幹の歩み

誕生から児童文学との出会いまで

1942年

昭和17年

0歳

6月6日、広島市(現)西区己斐(こい)本町に、姉二人の長男として生まれる。

1945年

昭和20年

3歳

8月6日、爆心から3キロの自宅で被爆したが、母親と戸袋のかげにいたため、軽いけがで済む。

4歳の夏、次姉の真瑜美(のちの児童文学作家・竹田まゆみ)と

1949年

昭和24年

7歳

広島市己斐小学校に入学。1年の冬休み、肋膜炎になり、生死の境をさまよった。5年生のころ、手塚治虫に弟子入りの手紙を出し、返事をもらう。

1955年

昭和30年

13歳

広島市庚午(こうご)中学校に入学。剣道部に入部したが、2年の時、新設された登山部に入部する。昆虫少年で読書は苦手だったが、1年生の時『次郎物語』を読み、本のおもしろさを知る。

1958年

昭和33年

16歳

広島市基町(もとまち)高校に入学。生物部に入部。生徒会活動や平和運動にも参加した。

1961年

昭和36年

19歳

県立島根農科大学(現・島根大学農学部)林学科に入学。山岳部に所属。卒論は「マツノシンクイムシの天敵防除」。

1965年

昭和40年

23歳

東京の日通商事株式会社に入社。自動車販売部門で、セールスマンとして勤務する。通勤電車の中で若い女性が『星の王子さま』を読んでいるのを見つけ、自分も読んでみたのが児童文学との出会いだった。

都内の勤務先で

1967年

昭和42年

25歳

6月、退社し、帰郷して家業の書道塾を10年ほど手伝う。

作家デビューを果たす

1968年

昭和43年

26歳

姉の竹田まゆみ(児童文学作家)に誘われて、広島児童文学研究会(日本児童文学者協会広島支部)に入会。同人誌『子どもの家』に作品を発表し始める。

1969年

昭和44年

27歳

『子どもの家』18号に発表した「白い種」が、翌年の『日本児童文学』の同人誌評で取り上げられる。日本児童文学者協会に入会。

「白い種」の選評が掲載された『日本児童文学』(1970年2月号)、評者は木暮正夫で、「迫力のある文章と動きのある展開で成功している」と評している。

1970年

昭和45年

28歳

第2回学研児童文学賞に応募した「首なし地ぞうの宝」が、佳作入選。(入選は、後の直木賞作家・皆川博子)

1972年

昭和47年

30歳

同作品が学習研究社から出版される。
広島児童文学研究会を退会し、姉の竹田まゆみと同人誌『きょうだい』を発刊する(74年まで)。

『きょうだい』は特別号を含む全6号が刊行された。表紙絵は弓場正紀氏、のち栗林忠孝氏。題字は父の那須茂義氏。

1975年

昭和50年

33歳

『きょうだい』に連載した「天井裏のあした」を、『屋根裏の遠い旅』として、偕成社から出版。

1976年

昭和51年

34歳

学習研究社の『6年の学習』に、4月号から「ずっこけ三銃士」の連載を開始する(77年3月号まで)。

「ずっこけ三銃士」 文・那須正幹/絵・前川かずお

1977年

昭和52年

35歳

岡村美佐子と結婚。

1978年

昭和53年

36歳

『それいけズッコケ三人組』をポプラ社から出版。絵は、連載時と同じく前川かずお氏。
書道塾を辞し、妻の実家のある山口県防府市に居を移し、創作に専念することに。

『それいけズッコケ三人組』 文・那須正幹/絵・前川かずお(ポプラ社)

作家としての歩み、受賞、社会的活動など

1980年

昭和55年

38歳

 『ぼくらは海へ』(偕成社)を出版。登場人物の死を予感させる結末を含め、話題となる。

1981年

昭和56年

39歳

川村たかし氏らと〈児童文学創作集団〉を結成し、同人誌『亜空間』を創刊。
長男・真悟誕生。

『亜空間』37号は1992年5月発行。この号の巻頭に「ねん土の神さま」が掲載された。表紙絵は石倉欣二氏。

1983年

昭和58年

41歳

この年から、「ズッコケ三人組」シリーズが、年2回の刊行パターンとなる。

1984年

昭和59年

42歳

次男・卓哉誕生。

1986年

昭和61年

44歳

長女・莉恵誕生。

1987年

昭和62年

45歳

ズッコケファンクラブ結成(会長・飯塚宣明氏)

1988年

昭和63年

46歳

次女・安芸子誕生。

1990年

平成2年

48歳

『ズッコケ三人組の大研究~那須正幹研究読本~』(ポプラ社)が刊行される。(その後、『 同 Ⅱ』『 同 ファイナル』で、2005年に全3巻完結)

1992年

平成4年

50歳

絵本『ねんどの神さま』(武田美穂・絵、ポプラ社)を出版、話題となる。

『ねんどの神さま』(ポプラ社)

1994年

平成6年

52歳

92年に出版した『さぎ師たちの空』(ポプラ社)で、第16回路傍の石文学賞。

1995年

平成7年

53歳

前年に出版した『お江戸の百太郎 乙松、宙に舞う』(岩崎書店)で、第35回日本児童文学者協会賞。

1996年

平成8年

54歳

前年に出版した『絵で読む 広島の原爆』(西村繁男・絵、福音館書店)で、第43回産経児童出版文化賞。

2000年

平成12年

58歳

前年に出版した『ズッコケ三人組のバック・トゥ・ザ・フューチャー』で第38回野間児童文芸賞。

2004年

平成16年

62歳

『ズッコケ三人組の卒業式』で、「ズッコケ三人組」シリーズ50巻で終了。同シリーズに対して、翌05年、第45回日本児童文学者協会賞特別賞。

『ズッコケ三人組の卒業式』 那須正幹 作/前川かずお 原画/高橋信也 作画(ポプラ社)

2005年

平成17年

63歳

「ズッコケ中年三人組」シリーズがスタート。「九条の会・山口」の発足にかかわる。

『ズッコケ中年三人組』 那須正幹 作/前川かずお 絵/高橋信也 絵(ポプラ社)

2007年

平成19年

65歳

日本児童文学者協会会長に就任(2012年まで)。

日本児童文学者協会の総会にて

2012年

平成24年

70歳

前年に出版した『ヒロシマ』三部作(ポプラ社)で、第52回日本児童文学者協会賞。

『ヒロシマ(一)歩きだした日』 (ポプラ社)

2020年

令和2年

78歳

最後のシリーズとなった『めいたんていサムくん』(はたこうしろう・絵、童心社)を出版。

『めいたんていサムくん』(童心社)

2021年

令和3年

79歳

7月22日、永眠。遺言により、全著作権を日本児童文学者協会に遺贈。
10月に、最後の作品となった「めいたんていサムくん」シリーズの3冊目『めいたんていサムくんとなぞの地図』が刊行される。

2022年

令和4年

7月14日、都内の東京會館で「那須正幹さんを偲ぶ会」が開催される。
11月、『遊びは勉強 友だちは先生~「ズッコケ三人組」の作家・那須正幹大研究~』(ポプラ社)が刊行される。

偲ぶ会では、三人組を始めとする那須作品の登場人物たちが遺影を囲んだ

〈参考〉『ズッコケ三人組の大研究』『 同 Ⅱ』『 同 ファイナル』
『日本児童文学』22年3・4月号/特集「追悼・那須正幹」
※年齢は、事項に関わりなく、誕生日を過ぎた時点での年齢です。